「核兵器と化学兵器はそっくり。使えば、人類は滅亡を免れない。回避する人類の英知に期待したい」。テヘラン市内のイマームホメイニ病院で六月二十五日にあった化学兵器問題に関する国際会議。行武さんが発表をこう締めくくると拍手が広がった。
旧日本軍が大久野島(竹原市)で毒ガスを造った歴史と、六千人を超す元工員らの健康被害と追跡調査について話した。「大久野島に関する報告はイランでは初めてだろう。毒ガスの恐ろしさ、それを使用することの愚かさの認識は同じだ」と振り返る。
一九六二年から、毒ガス患者を診てきた。病歴室の棚に並ぶカルテは約四千五百人分。「半数は亡くなった」と言う。
広島大の死因調査で、五二年から十年間にのどや肺のがんが多発していた。「将来、イランでも起こり得る」。あえて現地で警鐘を鳴らした。
昨年夏、大久野島を訪れた同国の毒ガス被害者支援協会のメンバーら八人を案内したのが、今回参加したきっかけだった。
サルダシュト市で、一枚のポスターを譲り受けた。初期の死者百十一人の遺影で、写真のない乳幼児たちは犠牲者を表す赤いチューリップの絵が描かれていた。「いかに痛ましい状況だったか…」と言葉を失った。
旅を通じてイラン人の親しみやすい人柄にも触れた。そのことも日本で伝えるつもりである。
【写真説明】大久野島の毒ガス被害について発表する行武医師。背後の写真は毒ガス被害を受けたイランの子ども
   
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