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正倉院宝物。「緑牙撥鏤尺」は長さ29.7センチ。天平の一尺物差しが、シルクロードの薫りを放つ(奈良市の奈良国立博物館)
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ミレニアムを超える星霜を一気にさかのぼる。そんな時間旅行に欠かせないのは、小さなオペラグラスだ。奈良市の奈良国立博物館で年1度、開かれる正倉院展。にぎわう会場で初めて忘れ物に気づき、唇をかんだ。
ガラスケースに額をくっつけて見る宝物の数々。1200年余の歳月を旅した精ちな文様は、目を凝らしても、小さい。
バラの絵柄と思われる文様入りの宝物は、二つ並んでいた。琵琶を弾くばち「紅牙撥鏤撥(こうげばちるのばち)」と、物差し「緑牙撥鏤尺」。いずれも象牙(ぞうげ)を朱色か藍(あい)色に染め、馬や鳥、花文様が彫り込んである。
その花は、ペルシャ原産のバラ「ロサ・ペルシカ」を描いた―。
そんな説がある。たぶん、きっと、そうだ。
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茶褐色のブロッチが特徴の「ロサ・ペルシカ」(英ロンドン郊外のバラ育種場)
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ペルシカは黄色の花。中央の茶褐色の部分はブロッチ(目)と呼ばれ、他の野生バラにない特徴である。名前の通り、イランをはじめ西アジア、中央アジア、そして中国の野に今も咲く。
緑牙撥鏤尺の文様の一つは花びら6枚。五弁のペルシカとは異なるが、ブロッチは似る。それに正倉院宝物は、遣唐使たちが運んだ中国伝来の品が多く、唐は西域との交易で栄えた。だからペルシカは、「シルクロードの終着駅」正倉院に、ぴったりふさわしい。
展示会場からほど近く、森の中に静かにたたずむ正倉院を訪ね、尾形充彦保存課整理室長にペルシカ説を切り出した。「面白い」。同意でも否定でもなかった。
「宝相花(ほうそうげ)」。尾形室長によると、当時の唐草付き花文様はそう呼ばれる。実在する花でなく、中国風の文様を漠然と総称しているという。唐の人たちが愛した牡丹(ぼたん)などをミックスした架空の花、との説が有力だ。
ところが中国では、宝相花は実在する花として文献に登場する。例えば1082年の「洛陽花木記」。トゲのある「刺花」の項に、薔薇(ばら)などとともに「黄宝相」とある。
しかし、それも宋代(960―1279年)以降。正倉院の時代、つまり唐代(618―907年)以前の文献には見当たらない。
やはり架空の花か。
文様ペルシカ連想説を国内で最初に唱えたのは、千葉市の元会社役員、白井剛夫さん(68)。バラ好き、美術好きが高じて花文様を探すうち、正倉院にバラを見た。日本ばら会の機関誌に自説を投稿したのは20年前。「アジアが素晴らしいバラ文化をはぐくみ、はるばる今も正倉院に咲く。ロマンチックだよね」
色あせない文様の鮮やかさ。オペラグラスを忘れたいらだたしさは、いつしか消えた。
尾形室長は、いずれ植物専門家を正倉院に招き、数々の宝物に描かれた花が何か、分析してみたいという。答えが楽しみのような、これまでの歳月を思えば、そう急ぐこともないような。
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正倉院宝物「紅牙撥鏤撥」(部分・裏)。麒麟(きりん)の周囲の花文様がバラに似る
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正倉院宝物「緑牙撥鏤撥」(部分・裏)。儀式用の尺とみられ、細かい目盛りはない
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■聖武天皇愛用の650点を奉納
756年、光明皇后が聖武天皇の七七忌に、天皇愛用の品650点余りを「国家珍宝帳」と呼ばれる目録とともに東大寺大仏に奉献した。これが正倉院宝物の最初の記録。「紅牙撥鏤撥」や「緑牙撥鏤尺」も含む。
以来、約1万点とされる宝物が保管され、国際色あふれる天平文化を今に伝える。現在、宮内庁が管理し、宝庫が開封されるのは毎年秋の約2カ月間。宝物を点検、調査し、一部を正倉院展に出品する。
日本の文献でバラが初めて登場する万葉集も8世紀に編さんされた。
2001.1.28