タイトル小
10. 中世トゲと江戸産物帳
ノイバラの若葉、赤いトゲ。春を告げる(芦田川)
福山市の芦田川のほとりで、ノイバラが自慢げに赤いトゲを突き出している。中世のころ、バラの木の下で、民衆の町が栄えた。江戸時代、隣の岡山で編さんされた産物帳にも、ノイバラの絵が登場する。時を超え、わたしたちに何を伝えてくれるのだろうか。
文・江種則貴 写真・大村 博
思いはせて 悠久ロマン
ノイバラの枝が芦田川に伸び、中州のアシが揺れる。草戸千軒が栄えた中世も、今と変わらぬ景色だっただろうか(福山市)

 トゲはやはり、とがっているだけあって、硬くて丈夫なのだろう。長さ3ミリほど。中世のバラのトゲは、小ビンの水のなかで、つんとすましている。

 広島県立歴史博物館(福山市)地下の収蔵庫に、近くの草戸千軒町遺跡から出土した数十万点の遺物が保管してある。トゲやバラの種は、鎌倉、室町時代に栄えた民衆の町の井戸や溝、池、穴の跡から、いくつか見つかった。

 小ビンをそっとかざしていたら、篠原芳秀草戸千軒町遺跡研究所長が、さも申し訳なさそうに話し始めた。「バラが人々の暮らしとどうかかわっていたか、ほとんど分かっていないんですよ」

草戸千軒町遺跡から出土したバラのトゲ

 中世の人々がその実を食したのならば、種はまとまって出土するはず。枝を何かに使ったならば、そぎ落としたトゲが大量に出てもいい。だが、そうではない。

 草戸千軒は今、芦田川の川底に眠る。風に揺れる中州のアシに向かい、川岸からノイバラの大きな枝が伸びていた。春まだ浅きとはいえ、若葉が膨らんでいた。

 初夏になれば今年も純白の花。季節を愛(め)でる人々のやさしい気持ちだけは、当時も今も変わらないのではあるまいか。

 江戸時代に入り1673年、草戸千軒は洪水で全滅したと記録は伝える。そのおよそ60年後、隣の岡山県で描かれたノイバラの絵が今に残る。

 岡山大図書館に保管してある『備前国備中国之内領内産物帳』。幕府の命を受け、当時の岡山藩がつくった領内の写生画付き動植物リストである。和紙のつづりをめくって、トゲのある「こもちくゐ」を見つけた。

 クイとは、このあたりで今も使われるノイバラの方言。

 産物帳には、紅色八重咲きの「十五夜」の絵もあった。「月季花」と説明書きが添えられていた。月季花と書いて「ちょうしゅん」とも読み、今のコウシンバラを指すらしい。中国原産で、読みは中国・吉林省の長春市にも通じる。

「こもちくゐ」と「十五夜」=岡山大図書館蔵『備前国備中国之内領内産物帳』

 この産物帳など江戸時代の動植物図鑑を集め、岡山県立美術館は昨夏、展示会「みることの再発見」を催した。その企画を進めた妹尾克己主任学芸員から、ユニークな解説を聞いた。「産物帳は写生画のよう。でも、あるがままを写すのとは少し違う」

 当時、狩野派と呼ばれる画風が流行していた。岡山藩お抱え絵師もその一派だったらしい。そして狩野派は「写生」を嫌ったというのだ。自然のバラを写したのではなく、何か見本となる絵、今で言うデザイン画集があって、それを基に描いたのではないかと。それに、自然をありのまま描くのは、口で言うほどたやすくはない。

 確かに「十五夜」も、言われてみれば「整いすぎ」か。日本で実証主義的な写生の手法が確立されるのは、江戸中期に活躍した画家円山応挙からだと妹尾さんは言う。

 中世のトゲは、沈黙を守るかのよう。江戸産物帳の絵は、見るものを惑わせる。

 悠久の歳月を経て今に残ったことに感謝しつつも、写し、伝え、残すことの困難さをかみしめる。芦田川の水面に映える現在のノイバラの姿を、さて、未来にどう語り継ごうか。

■吉宗が命令 日本初の産物調査

 徳川吉宗の時代、幕府は諸国に、動植物や鉱石など領内の産物の徹底調査と報告を求めた。日本初の本格的な生物相の全国調査とされる。こうして諸国の産物帳は本草学者丹羽正伯(1691―1756年)のもとに集められたものの、膨大な原本は後に散逸した。

 岡山大の『備前国備中国之内領内産物帳』は、幕府への提出の控えとして岡山藩が手元に残した写本とされる。1895件のリストをまとめた「本帳」と、228点の絵を集めた「絵図帳」がある。穀類、果実、藻やコケ、鳥獣、虫などを網羅。現在、遺伝子解明に使われるショウジョウバエを「猩々はい」と記録したり、絶滅が危ぐされる「トキ」が登場したりする。

2001.3.11

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