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400年前の姿をとどめるシェークスピアの生家。甘くかぐわしいバラが裏庭に咲く(英ストラトフォード・アポン・エイボン)
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生家の裏庭には、赤く、甘美な香りのバラが咲いていた。ロンドンから北西へ約150キロの町ストラットフォード・アポン・エイボン。英国が誇る劇作家ウイリアム・シェークスピア(1564〜1616年)の古里である。
21歳の時、妻子を残してロンドンに出た彼は、52歳で亡くなるまでに『ハムレット』など38本の戯曲を書いて大成功を収めた。
それらの作品には、花がたくさん登場する。おなじみの恋物語『ロミオとジュリエット』では、恋する乙女の切ない胸の内がバラに託して表現される。
「おおロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオなの(略)私の敵はあなたの名前だけ(略)名前がいったい何だというの? 薔薇(ばら)と呼んでいるあの花を、別の名前で呼んでも、同じようにかぐわしい」
愛するロミオが敵対する一家の息子と知った14歳のジュリエット。「かなわぬ恋をかなえたい」とバルコニーに立ち、「ロミオ、お願いだから名前を変えて」と夜空の星に向けて願う有名なシーンである。
シェークスピアの肖像画(シェークスピアセンター蔵)>
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バルコニーと夜空と、かぐわしい香り―。そのバラはシェークスピアの生家に咲いていたのだろうか。木造の家にはバルコニーこそないが、外壁や庭にはつるバラがはっている。幼いころの印象を作品に生かしたのでは…。
そう思って家を管理する財団のガイド、ポール・アベリィさん(31)に尋ねてみた。しかし彼は「もちろん400年前もバラはあった。でもどんな花か、作品にどう影響したかは分からない」とかぶりを振るばかり。
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エイボン運河沿いのハムレット像。ストラトフォードは花と文学の町だ
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通りに面した生家の正面では、見学者の記念撮影が続く。屈託のない笑顔が広がる
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というのもシェークスピアはなぞ多き人物。自筆の作品は残っておらず、別人説など今も論争が絶えない。18世紀から母親の実家とされてきた建物が誤りと判明したのは昨年のこと。だから、答えは慎重にならざるをえないのだ。
しかし彼がバラに特別な思いを寄せていたのは確か。桃山学院大の金城盛紀教授(英文学)の研究では、詩を含めた全作品に登場する植物約150種のうち、バラは約100回で最多。2位のユリの26回、それに続くスミレなどを大きく引き離している。
当時の英国は、「バラの女王」と呼ばれたエリザベス一世の時代。女王が栽培に熱を注いだバラは、貴族の間でもてはやされた。女王はまた演劇を好み、シェークスピアを宮廷に招くなどして援助した。芸術文化が花開き、経済的にも繁栄の道を歩み始めたころである。
ロンドンには、シェークスピア演劇の拠点、テムズ川右岸のグローブ座など野外劇場が次々にオープン。芝居見物は庶民の最大の娯楽になった。1600年ごろ。日本でいえば、関ケ原の戦いのころの話である。
私たちは、シェークスピアの生家を去る直前、庭師のネビール・エヴァンスさん(40)を見かけた。「庭のバラは新世紀を記念しておおかた植え替えたばかり」との説明。さらに、当時のバラは年一回だけ咲き、花期もとても短かったはず、と教えてくれた。
シェークスピアが見たバラは、同じバラ科のサクラに似て、散り際も美しかったに違いない。だからこそ、はかない恋、短い命の象徴として登場するのだろう。
庭から一歩、通りに出ると、小旅行の学生たちが屈託のない笑顔で記念撮影に興じていた。ジュリエットの恋も、ハムレットの悲劇も、うたかたの夢のように消え去った。
■ばら戦争 赤と白は創作?
シェークスピアは、英国貴族の内乱「ばら戦争」(1455〜85年)を「紅白合戦」に仕立てて上演し、好評を博した。
赤バラを象徴とするランカスター派と、白バラが象徴のヨーク派とが、王位継承をめぐって血なまぐさい闘争を繰り広げる歴史劇『ヘンリー六世』と『リチャード三世』である。
両派を分けた二つのバラはどんな花なのか。長い論争の結果、白バラは古い園芸種の「アルバ」、赤バラは欧州大陸の自生種「ガリカ」とされている。
チューダーローズ
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さらに、ばら戦争の末期には、赤白混じりの「ヨーク・アンド・ランカスター」が咲き始めたと伝わる。香水原料のダマスクバラの変種で、内乱終結のシンボルとして今も人気を保つ。
もっとも歴史学者の間では、白バラはヨーク家の記章の一つだが、当時、ランカスター派の赤バラは実在しなかったというのが定説。つまり「紅白合戦」はシェークスピアの創作で、「ばら戦争」の名も、後に芝居の影響から付けられた、と考えられている。
ランカスター家のヘンリー・チューダー(ヘンリー七世)とヨーク家の娘が結婚し、ばら戦争は終わる。そしてヘンリーは、自分の紋章に白バラと赤バラを重ねたような図案「チューダーローズ」を採用した。それは孫に当たるエリザベス一世を経て現在まで引き継がれている。バラはイングランドの国花である。
名作の舞台 グローブ座復元
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シェークスピア劇を上演中のグローブ座の内部。天井には極彩色の装飾が施されている(グローブ座提供)
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シェークスピアも出資したグローブ座は1599年の創建。直径約30メートルの円筒形の建物で、舞台を囲むように3層の桟敷席がある。中央は屋根がなく、舞台前の土間は露天の立ち見。観客は盛んにやじを飛ばして芝居を盛り上げた。焼失、再建を経て清教徒革命中の1644年に壊された。
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1997年にオープンしたグローブ座。創建時と同じ木造で、屋根はアシでふいてある(ロンドン)
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約53億円かけてほぼ元の位置に復元された今の劇場(約1500人収容)は1997年の開場。バラやスミレなどシェークスピア劇に登場する動植物の装飾を施した門扉があり、観客を不朽の名作の世界に誘う。
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2001.3.18