タイトル小
12. 聖母マリアとの出会い
ノートルダム寺院内の聖徒像に飾られた「ばら」
パリのノートルダム寺院で、「ばら」をたくさん見た。聖母マリアにささげられた円形の大きな彩色窓、聖徒像に飾られた花、大聖堂の壁の小さな彫刻…。「ばら」は700年余り前から、訪れる人たちを天上の楽園に誘ってきた。
文・杉本喜信 写真・大村 博、藤井康正
*** 「異郷の花」と嫌われた時代も… ***
気高い姿 大聖堂飾る
パリ・ノートルダム大聖堂の内部。アーチ型の天井の下に、十字架と「悲しみの聖母像」が据えられている
 
大聖堂の側面、高さ21メートルの位置にある円形ステンドグラス「北のばら窓」

 パイプオルガンの調べが響く。色彩豊かな光が注ぎ込む。パリの中心にそびえるゴシック建築の傑作、ノートルダム寺院。その大聖堂には「ばら窓」と呼ばれる円形の大型ステンドグラスが三面ある。

大聖堂の正面。2層目の中央に「西のばら窓」がある
大聖堂正面入り口わきに施されたバラの彫刻

 正面から見える西のばら窓は直径10メートル、側面にある北と南のばら窓は直径13メートル。日差しを受けて輝く様子は幻想的である。

 中でも、「北のばら窓」は1252年の制作当時の姿をそのままとどめる。基調色は夜明け前を示す青紫。図柄は、幼いイエスを抱いた聖母マリアと、二人を囲む88の聖者たちである。

 寺院の名「ノートルダム」は「われらの貴婦人」の意味。フランスでは親しみを込めて聖母マリアをこう呼ぶ。つまり大聖堂は「女性の中の女性」とされるマリアにささげられた建物である。そしてバラは「花の中の花」と称される。

 そんな背景を持ちながら、大聖堂の壁に花開く「ばら窓」。しかし聖書に登場するマリアゆかりの花はユリ。なぜ「ばら窓」なのか―。

バラとのかかわりを語るアリアンヌさん

 ノートルダム寺院の布教担当者アリアンヌ・サンマルクさん(58)に助けてもらい、キリスト教とバラのかかわりを調べてみた。すると、意外なことが分かった。

 初期のキリスト教では、トゲのあるバラは「邪悪な花」とされていた。布教者たちは、自分たちを迫害するローマ人のぜいたくな暮らしを象徴する異教の花として嫌っていたのだ。

 しかし、キリスト教がローマ帝国に公認されると、「バラには元来トゲがない」とする教えが登場し、教会はバラを徐々に取り入れていく。

 4世紀の聖人アンブロシウスは「トゲは、アダムとイブがエデンの園で犯した原罪を忘れぬよう神が新たに加えた。一方、楽園を表す気高い姿と香りは残された」と説教したと伝えられている。

 「邪悪な花」から「気高い楽園の花」への変身。赤バラは殉教者の血を象徴し、白バラは聖母マリアの純潔のシンボルとされた。背景には、禁じてもなお人気が高いバラを布教に活用する意図があったとも言われている。

 12世紀に入ると、バラは西欧で一層脚光を浴びる。十字軍のエルサレムなどへの遠征の結果、香りの良いダマスクバラやその香油が、イスラム圏からもたらされ、急速に広がり始める。

 そしてフランスでは、13世紀にかけて、土俗信仰とキリスト教が結び付き、聖母マリア信仰が一気に広まった。そんな時代に、ノートルダムの大聖堂は建てられ、マリアにささげるバラ窓が取り付けられた。

 北のバラ窓は、フランス王ルイ九世の母ブランシュ・ド・カスチーユが作らせた。息子ルイはそのころ、第6回の十字軍(1248〜54年)を率いてエジプトに遠征中。捕虜になるなど辛酸をなめた。

 「彼女は、自分や息子が天国へ行けるよう、世界で最も美しいバラをマリアに贈ったのよ」。アリアンヌさんは身ぶり手ぶりの熱弁を振るった。

 ノートルダムを去る前にあらためて大聖堂の真ん中に立ってみた。正面の壇上には、はりつけの刑で死んだイエスを抱く「悲しみの聖母像」。その台座や金属製のさくにはバラの文様。左右に目を転じると、極彩色に輝くばら窓があった。

 トゲのないバラが咲くという天上の楽園から降り注ぐ光は、どれだけ多くの人々を魅了してきたのだろうか。観光客たちのため息が聞こえた。

■ゴシック建設と装飾

 ばら窓は12世紀、ゴシック建築と一緒に大型化した。とがったアーチ屋根などの採用で窓の大型化が可能になったからである。

 その一つ、パリのノートルダム大聖堂は1160年ごろの着工。改修を重ねながら今の姿になった。幅48メートル、奥行き128メートル、塔の高さ96メートル。内部と外部の装飾のモチーフはバラを含む樹木で、「開墾によって激減した森林をイメージしている」との説がある。

 薬草として修道院で細々と続いてきたバラ栽培が庶民に広がり始めたのも、このころである。


カトリックの数珠 ロザリオはバラに起源
バラの花がささげられた福山カトリック教会のマリア像(福山市)
一般的なロザリオ

 バラと聖母マリアの深いかかわりを示すものがある。ロザリオ。聖母マリアへの祈りの際に使う数珠である。

ロザリオの祈りをささげる信徒たち(福山カトリック教会)

 福山市の福山カトリック教会では、聖母月(5月)とロザリオ月(10月)には、信徒がこの数珠をつまぐりながら、声を合わせて祈りを唱える。世界中の多くのカトリック教会も同じである。

 ロザリオの名は「バラの輪・冠」との意味で、ラテン語のロザリウム(ばら園)に由来するとされる。ばら窓と同じ12世紀に登場した。中世の信徒たちは祈りをささげるたびにバラが咲き、マリアの慈愛に包まれると考えたと伝えられる。

 ところで、ロザリオの名の由来には異説もある。インドの梵(ぼん)語(サンスクリット語)由来説だ。

 「ジャパ・マーラー」(唱えて祈る輪)と呼ばれた数珠が、中近東を経てギリシャに伝えられる途中、誤って「ジャパ」の部分が「ジャパー」になった。「ジャパー」は梵語で「バラ」を指す。ギリシャ正教はそれを直訳してロザリオ(ばらの輪)と呼ぶようにしたという説だ。

 真偽のほどは分からない。が、ロザリオは確かに仏教などで使われる数珠によく似ている。

 バラの多くはアジアから欧州に伝わった。同じように、ロザリオの起源もアジアにあるのかもしれない。

2001.4.1

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