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14. 名花ピース
ピースの花束
「ピース」という名のバラがある。直系15センチ、黄色にピンク交じりの大輪だ。現代バラを代表する20世紀のベストセラーローズ。第二次大戦末期の1945年、世界平和へのメッセージを込めて名づけられた。名花誕生の舞台裏は…。
文・杉本喜信 写真・大村 博
*** 反戦のメッセージ世界へ ***
生命の喜びに輝く大輪
雨上がりの日差しを浴びて輝くピース(福山市ばら公園)

 「ピースと名づけたこの花が人々の心を動かし、世界にかつてない平和がもたらされますように 米国ばら協会」

国連憲章が採択されたサンフランシスコ会議。ピースは討論の場を飾った

 第二次大戦末期の1945年5月、米サンフランシスコ。国連発足に向け会議場に集まった50カ国の政府代表たちは、輝くようなバラに迎えられた。

 直径15センチ。淡い黄色にピンクが交じった「巨大輪」。加えて、戦争終結の願いをとらえたネーミング。20世紀を代表する名花はこうして国際舞台に登場し、世界のベストセラーローズにのぼり詰める。

 ピース。だれが作り、名づけたのだろうか。最初に販売した農園が南フランスにあると聞き、足を延ばした。

 目指すメイアン社は保養地で知られるニースの西約100キロのキャネ・ド・モールという町にあった。18ヘクタールの広大なバラ育種場。広報担当のアリンヌ・コンベルセさん(52)が事務所の奥から古ぼけた書類を探してくれた。

 それによるとピースはサンフランシスコ会議の6年前、39年にフランスのリヨンで誕生していた。ナチス・ドイツがポーランドに攻め入り、第二次大戦が始まった年だ。

 育種者は先代社長、当時27歳のフランシス・メイアン(1912〜1958年)。改良を重ねた無名のバラに、英国産の赤バラの花粉を加えて作り出した。自信作だったのだろう。当時の多くの育種家と同じように母親にささげて「マダム・アントワーヌ・メイアン」と名づけ、戦時下、売り出した。

商品化に向け選別を待つ多数の新種バラ。「ピースも最初はこんな中の1本だった」とアンドレさん(南フランスのメイアン社)

 3年後の秋。ドイツ軍が迫る中、「米国にも広めたい」と彼は芽接ぎ用の小枝数本を友人の販売業者ロバート・パイル氏に送る。郵便網は寸断されていたので、帰国する知り合いの米国領事に託した。ドイツによる南フランス占領の前日のことだった。

 なんとか米国に届いた小枝はパイル氏によって増やされ、45年4月末、カリフォルニア州パサデナでの太平洋バラ協会展に「新品種」として登場。話題をさらう。

 ちょうどその時だ。会場に「ベルリン陥落。休戦へ」のニュースが届いた。「ピース!」。それがこのバラの運命だったかのように名前は決まった。

 ピースはその後も51年のサンフランシスコ対日講和条約調印の席上を飾るなど、歴史的な場面に立ち会い、バラそのものに「平和の象徴」のイメージを植えつけた。

 巨大輪系の始祖でもあるピースは、これまでに世界中で5000万本以上が販売された。交配親としても優秀で、世界中の作出家が品種改良に利用し、その子孫は「ピースファミリー」と呼ばれる名花群を形成している。

 メイアン社の広大な温室でも、子孫に当たる新品種のバラが何万本も商品化を待っていた。

 「ピースは今や販売権が切れ、だれがどう利用するのも自由」と栽培担当者。バラ園芸への貢献は計り知れない。

 広報担当のアリンヌさんは、バラに囲まれて歩きながら意外なことを言い始めた。ピースには第一の名「マダム・アントワーヌ・メイヤン」のほかにも二つ名前があるというのだ。

 ドイツでは、「グロリア・デイ」(栄光の讃歌)、イタリアでは「ジョイア」(歓喜)。「敗戦国では、戦勝国が付けた名では売りにくい、と現地の販売会社が別の名を考えたの」

 世界へメッセージを放つかのように、空に向けすっくと伸びる大輪のピース。生命の歓喜をうたうその姿こそが、戦争の愚かさを伝え、広める。

人工授粉で品種改良
商品化は2万5000分の1

 ピースなど現代バラのほとんどは人工授粉による品種改良で作り出されている。メイアン社の温室で改良担当サン・アンドレさん(60)にやり方をを尋ねると、「方法は簡単。大切なのは忍耐と美意識だから」とあっさり手順を明かし、実演までしてくれた。

発芽して1年目のバラの苗。砂地の鉢植えで育てていた

 最低2種類のバラを準備し、(1)春の開花直後に雄しべを切り取る(2)雄しべの花粉を別のバラの雌しべに塗る(3)実が成熟する秋まで待ち、種を取り出す(4)発芽させて花を咲かせ、良い花を選ぶ―。ざっとこんなところだ。

 「数多く交配すれば、それだけ良いバラにめぐり合える」。メイアン社では毎年1万2000輪に授粉し、25万本の苗をつくる。色、姿、香り、育てやすさなどを見極めるため8年ほどテスト栽培し、選別を繰り返す。その後2年かけて名前を考え、最終的に発売するのは10種ほど。商品化されるのは2万5000本に1本の割合だ。

 同社は現在、1000種余りの品種を登録し、その販売権を持つ。切り花も含めると62カ国で年間12万本を売る世界最大級のバラ会社である。

 この道39年。今年定年を迎えるアンドレさんは「想像力を駆使して新しい色や香りを作る仕事。毎日のように発見があり、飽きることはない」。どの花が一番好きかと聞くと、「商品化されなかったバラにも愛着がある。全部だよ」と両手を広げて笑った。

(1)花が開いたら雄しべを切り取る (2)別のバラの雄しべに筆で花粉を塗る (3)実が成熟するのを待って種を取り出す

2001.4.15

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