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15. 北欧 森の妖精
フィンローズ
北欧スウェーデンで珍しい野バラを見た。シラカバの森に自生する「フィンローズ」。氷点下30度の北極圏の冬に耐え、白夜の季節に花開く「森の妖精(ようせい)」だ。やっと見つけたその花は小さくかれん。澄んだ香りを漂わせていた。
文・杉本喜信 写真・大村 博
*** スープがつないだ不思議な出会い ***
静寂の中 かれんな笑み
北極圏に近いシラカバの森に咲く一輪の野バラ(スェーデン北部のコーゲ)

 シラカバの森の中にそっと一輪、薄紅色の野バラが咲いている。気温13度。短い夏を精いっぱい受け止めるかのように花弁を開げている。

 あと200キロで北極圏に入るスウェーデン北部の町コーゲ。直径4センチの小ぶりな花は、園芸ジャーナリスト、イングリッド・ノードワールさん(57)の別荘わきの森で、霧雨にぬれて輝いていた。

北極圏で咲く野バラの名を教えてくれたトーレさん夫妻(ウーメオ)

 「お目当てのバラだといいのだけれど」。案内してくれた彼女も一緒になってのぞき込む。

 50年ほど前、植物学者だった祖父が北方の自生種を移植した。手入れもしないのに、その形見の野バラは毎年7月、森の妖精(ようせい)のような花姿を見せてくれるという。

 探し求める「北極バラ」に違いない。この辺りでは、隣国フィンランドの名をもらい、「フィンローズ」と呼ばれる原生種だ。

 冬は氷点下30度にもなり、雪と氷に閉ざされる北極圏。そこに咲く野バラがあると英国で聞き、思い切ってスウェーデンまで足を延ばした。しかし急な旅。手がかりが乏しい運任せの取材となった。

 私たちはまず、首都ストックホルムの北約900キロの町ウーメオに、スウェーデンばら会の北部代表トーレ・ユーナスさん(59)宅を訪ねた。

 色とりどり、約50種のバラが咲く庭。夫婦で案内しながらトーレさんは「このフィンローズだろう」と紅色の花を指さした。普通のバラはとても育たない北極圏の村に住む友人が送ってくれたという。「北に自生地が数カ所あるらしい。でも、具体的な場所までは…」と首をかしげる。手がかりは途絶えた。

 翌朝。ウーメオのホテルの食堂で、子どもたちが「バラの実スープ」を飲んでいた。この国では一般的なメニュー。ホテルの朝食はもちろん、店頭には粉末の「スープのもと」が並ぶ。甘ずっぱくてさわやかな味だ。

大好きなバラの実スープを飲むリネアちゃん(ウーメオのホテル)
「バラの実スープ」のもと。粉末で売られている)

 「大好きよ。毎日飲むの」とリネア・エリクソンちゃん(4)。母親のモニカさんは「ビタミンが多いから欠かさない」。昔は家族で野バラの実を摘んで作ったという。寒くてかんきつ類が育たず、ビタミン不足に陥りがちだった北欧の事情から生まれた健康食品なのだ。

 スープの後味を楽しむ間もなく、私たちは、まだ見ぬ野バラを求めて北へ北へと車を走らせた。何度も車を降りて探すが見つからない。だれに聞いても分からない。午後3時、半ばあきらめ、お土産用の「スープのもと」を買うため、通りすがりの街のスーパーに入った。レジの列に並んだその時だ。

別荘の前で野バラの思い出を語るイングリッドさん(コーゲ)

 すぐ前の銀髪の女性が振り返り、「それは体にいいのよ」と話しかけてきた。「どこから来たの?」「なぜここへ?」。目的を話すと、「少しは役に立てるかも。ついていらっしゃい」。ストックホルムの園芸雑誌「コロニー・トレゴーデン」のベテラン編集長イングリッドさんだった。休暇でたまたま古里の別荘に滞在していた。

 北欧民話の世界では、森にたくさんの精霊が住む。水の精、山の精、家の精…。テレビアニメで日本人にもおなじみのムーミンもその仲間だ。

 バラの実スープがつないでくれた不思議な出会い。お礼を述べる私たちに、イングリッドさんは「バラの妖精が出会わせてくれたのよ」と女性にしてはがっしりした手を差し出した。

 真夜中でも明るい白夜のシラカバの森で、シダやブルーベリーに囲まれてたたずむ野バラ。ほのかに甘い、澄んだ香りを辺りに漂わせていた。あれは妖精の残り香だったのか。

■「フィンローズ」はオオタカネバラ?

 森のバラ「フィンローズ」の学名は「ロサ・アキキュラリス」。「針状のバラ」という意味だ。細いトゲに由来する。

 アキキュラリスはアジアや北米にも分布。日本では「オオタカネバラ」と呼ばれ、北海道、東北地方や本州の高山に自生する。北米では「北極バラ」と呼ばれる。

 しかしこれらが完全に同じかどうかは、研究が十分でなく微妙。東京大の大場秀章教授(植物分類学)は「別種の可能性も捨てきれない」と話す。

 北欧の北極圏内では、日本原生の海辺のバラ、ハマナスも咲く。


19世紀王室庭園 市民の有機農園に変身
ローゼンダールに咲く房咲きのバラ。後方は19世紀の温室(ストックホルム)

 スウェーデンのバラ庭園発祥の地、ストックホルムの「ローゼンダール(バラの丘)」を訪れた。19世紀に造られ、今は市民に人気の有機栽培農園に変身を遂げていた。

 市中心部の自然公園の森の中にあるローゼンダールは広さ3ヘクタール。野菜や花の畑、果樹園に加え、収穫物を出すレストランや売店が並ぶ。

 「自然との調和」を目指す庭師のラーシ・クランツさん(46)が1984年、荒れ果てていたローゼンダールを借りて、仲間と一緒に徐々に今の姿に変えてきた。昨年夏は約60万人が訪れ、土をいじり、日光を浴び、食事を楽しんで帰って行った。

有機栽培の野菜や果物などが並ぶローゼンダールの売店

 もともとは王家の庭園だった。フランスから王室入りした国王カール十四世がバラ好きの妃のために1820年代に造った。

 フランスでは、皇帝ナポレオン一世の部下の将軍だった国王は、皇帝の元婚約者を妻に迎えていた。パリのマルメゾンの館で、人工授粉による園芸バラの品種改良革命が起きたころ。国王はパリを懐かしむ妻をなぐさめるためバラを植えたというわけだ。

 今も、その一画、19世紀に建てられた円形温室の前に、野バラを中心に約100種類が植えられている。「バラは、姿や香りも多種多様。さまざまな人が出会い、自然の恵みを受けるこの農園の象徴でもある」とラーシさん。

 自然のまま、たくましく育ったバラは、あふれんばかりの花を咲かせていた。

2001.4.22

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