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福山市中心部に広がる緑豊かな「ばら公園」。5500本のバラが見ごろを迎えるころ、ばら祭が開かれる
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福山市の「ばら公園」はビルに囲まれた三角形の花園である。広さ1・5ヘクタール。5月も半ばを過ぎると、色とりどりの280種、5500本のバラが花開き、甘い香りが漂う。
住民運動が生んだ「ばらのまち」のシンボルは都市の憩いの場。入園料はいらない。45年間、市民が親しみ、支えてきた歴史がしっかり根付いている。
まだ街に空襲の跡が残る1956年3月。バラックが立ち並び、雑草が目立つ南公園、通称「三角公園」に近所の人たちがバラ苗を植樹した。それがばら公園の始まりだった。
「焼け跡を花園に変えよう」。町内会の呼び掛けに幼児から老人まで約200人が集合。くわを振るって耕し、スコップで穴を掘って70種類約1000本を植え付けた。
町内会は2カ月前、当時の徳永豊市長(故人)を役員宅に招き、バラのスライドを見せて「平和の象徴を植えたい。明るい街をつくりたい」と要望。「管理は住民で」との条件で苗木提供の約束を取り付けていた。背景には、荒れて物騒な三角公園をなんとかしたいとの思いがあった。
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右=「ばらのまち」づくりを進める福山ばら会会長の小林さん
左上=最初の植樹に集まった近所の人たち。手前右端は徳永市長(1956年3月17日)=小林さん提供
左下=オーストラリアのバラ「バイセンチュニアルローズ」と仲立ちをした行広さん
(いずれも福山ばら公園)
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近くに住む福山ばら会会長の小林幹弥さん(76)は当時から活動の中心にいた。町内会の会計を務めながら、この年発足した福山ばら会の副会長に31歳で就任。張り切っていた。
少年時代から園芸が趣味だった小林さんは抑留先のシベリアでも、荒野に野バラを見つけ、めでていたほどのバラ好き。勤務先の銀行から帰宅すると、消防ポンプを使って三角公園に水をまき、近所の人たちと手入れに励んだ。「みんな潤いに飢えていた。自分たちで街を良くしようと燃えていた」と振り返る。
時代はちょうど、欧米の豊かな生活ぶりとそれを彩るバラが二重写しになり、日本中で栽培ブームが始まったころ。早くもその年5月に公園を彩った赤やピンクの大輪は、市民の多くに戦後復興のあかしと映った。
「公園の全部をバラで埋めたい。憩いの場と同時に公徳心を養う社会教育の場としたい」。5年後の61年、徳永市長は「バラ公園構想」を発表。三角公園は65年に現在の姿になり、一帯の町名も花園町に変わった。
「この真っ赤な花を見ると戦後の青春時代を思い出す」。近くに住む行広澄さん(77)は、ばら公園のオーストラリア産バラに思いを寄せる。
バラは福山市に進駐した元オーストラリア兵で、行広さんの元上司、故マイケル・イーガンさんが88年に市に寄贈した。
ばらのまち福山の歩み
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1956年 |
3月 |
福山ばら会発足。合言葉は「100本のバラをつくるマニアより、1本のバラを愛する100人を」▽三角公園に地元住民がバラ苗1000本を植える |
65年 |
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三角公園改造。一帯の町名が花園町に |
67年 |
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地元町内会が「美しいまちづくりコンクール」最優秀賞 |
68年 |
5月 |
ばら祭始まる |
69年 |
5月 |
ばら花壇コンクール始まる |
76年 |
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「バラ公園」に改称。さらに85年「ばら公園」に。 |
85年 |
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市の花にバラ |
86年 |
11月 |
ばら会30周年記念式。標語は「ばら100万 ゆたかさあふれるふれあいの街に」 |
87年 |
5月 |
第20回ばら祭。テーマは「めざそう100万本のばらのまち」 |
93年 |
11月 |
ばらシンボルマーク制定 |
2001年 |
5月 |
緑町公園ばら花壇開園 |
終戦時、福山陸軍病院の看護婦だった行広さんは、敵が来たら毒を飲もうと準備したが、思い直して進駐軍施設でウエートレスをした。その時の上役がイーガンさん。公私のけじめに厳しく、職業人としての視野を広げてくれた恩人だという。
イーガンさんは86年に福山を再訪。行広さんの案内で見学したばら公園に自国のバラがないことを残念がり、友好の印に空輸してきた。
海外からばら公園に贈られたバラは韓国、ブラジルなど5カ国、10種類。どの花にも行広さんとイーガンさんのような物語が秘められている。
「百万本のばらのまち」を目指す福山市内のバラは現在、市推定で約45万本。多くの家庭に加え、町内会や学校、企業など約200団体がバラ花壇づくりに取り組む。
この8日には、市民オーナーがバラを植えた二つ目のばら公園「緑町公園ばら花壇」(190種、5000本)がオープン。19、20日の「福山ばら祭2001」に合わせ、市内ではばら花壇コンクールや切り花コンテストも開かれる。
「ばらのまち」づくりが始まって45年。その誕生の経緯を知る人は少なくなったが、市内に咲く一本一本のバラには、復興にかけた当時の市民の思いが受け継がれている。
「私たちが最初にバラを植えたのはこのあたり」。今も小学生への栽培指導を続ける小林さんは、ばら公園の一画を懐かしそうに見やり、目を細めた。
福山市の「顔」たち
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第1号 皇居や海外でも大輪
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86年に誕生したピンクの大輪「ローズふくやま」。ばら公園で競うように咲く |
明るいピンクの大輪バラ「ローズふくやま」は、めっぽう丈夫でたくましい。福山市が、市花をバラに制定した翌年の1986年、市制70周年を記念して名前を公募。寄せられた1851の候補の中から選ばれた。
その花は華やか。小さなつぼみが比較的ゆっくり開き、花弁の先がとがって直径13センチにもなる。「ヒロシマシリーズ」のバラで知られる広島県佐伯町の育種家田頭数蔵さん(72)が作り出した。
交配親は、日本産の黄に朱色のバラ「高雄」と、米国産の薄ピンクのバラ「プリスタイン」。先祖をたどれば、現代バラの名花「ピース」や、中国、中東、西アジアの野生バラにたどりつく。これまでに約5000本が売れ、田頭さんが作り出した30種ほどの新種の中で最も売れ行きの良い一つという。
米国バラ協会の国際登録品種。皇居のバラ園にも植えられ、田頭さんの友人であるドイツの「ばらの父」故ラインハルト・プッシュさんを通じて欧州にも広まっている。
福山市内では、市が無料配布した1000本があちこちに根付き、今年も元気な花を咲かせている。
◇ ◇
「ローズふくやま」のほか福山市のバラは市園芸センターが作り出した「スマイルふくやま」など3種。このほか市内の農家が切り花用に「アッコ」など新種を作り、売り出している。
87年に誕生した大輪の「ビューティフルふくやま」
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90年に誕生した大輪の「プリンセスふくやま
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今年のばら祭でデビューするミニバラ「スマイルふくやま」。咲き初め(中央)から満開(右)へと花姿が変わる
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2001.5.13