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香料の瓶が並ぶ調香室で、香水を試験紙につけてかぐ調香師のカルギンさん(フランス・グラース)
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ライム、じゃ香、ラベンダー…。調合室の棚に、香料入りの小瓶約500個が並ぶ。白衣姿の調香師は、混ぜた香料を試験紙に付け、そっと鼻先へ。遠くを見詰めるような表情で、香りに集中する。
地中海に近い南フランスの「香水の街」グラース。1736年創業の「フラゴナール社」の香水工場は、街の中心部にある。5階建て延べ約2500平方メートル。ろ過器や瓶詰め器が並び、甘い香りが立ち込める。
調香師セルジュ・カルギンさん(45)は、各種の香料をブレンドした後、こはく色の液体を調合瓶に加えた。じっくり時間をかけ、出来具合を確かめる。「完成。華やいだ香りだ」と笑顔。「バラはいつも最後に入れる。高価だから」とローズオイルの瓶を指さした。
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「香水の街」グラースの入り口で観光客を迎えるバラのモニュメント
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ここで使っていたローズオイルは、ブルガリアなどのダマスク種や、グラース近郊で栽培されるケンティフォリア種の花びらを蒸留して作ったもの。どちらも中世以前からある古いバラで、濃厚な甘さが特徴だ。ただ、素人には香りの区別は難しい。
調香師は、7000種にも上るという天然・人工香料の中から、50〜500種をブレンドし、独自の香水を作り出す。「絵に色調、音楽にハーモニーがあるように、香りには香調がある」。カルギンさんは、この20年間に5000種近い香水を作り、パリの有名ブランドにも製法を提供してきた。「バラは香水の完成度を高めるのに欠かせない」と語る。
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左=紀元前2000年ごろにつくられた「花の香りをかぐ女神像」(高さ13.1センチ、幅4.4センチ)=パリ・ルーブル美術館蔵
右=南フランスで香水用に栽培されるケンティフォリア種のバラ。日本名は「百弁バラ」
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香水の香りは、重層的で奥が深い。体に付けて最初ににおうのは揮発度が高いかんきつ系、10〜30分後に現れるのがバラなどの花系、最後は揮発度が低い動物系。「ローズオイルは、他の香料と響き合って深みを増す。いわば香りのベース。最近は海のイメージが流行で、海藻を入れたりするが、それは隠し味にすぎない」
ここグラースでは、温暖な気候を利用して、16世紀からケンティフォリア種のバラやオレンジなど香料用植物の栽培が盛んになった。19世紀半ばには、65軒の工場が立ち並ぶ世界一の香水産地になった。今も、フラゴナール社のほか数社が残り、年間数十万人の観光客が訪れる。
多くの高級香水には、バラとジャスミンが入っている。好き嫌いが分かれる「香料の王」ジャスミンに対し、万人に好かれ「女王」と呼ばれるバラ。その香りを構成する化学成分のうち現在、約540種類が解明されている。しかし完全な人工香料作りは今も成功していない。未解明の成分が500種はある、とみる専門家もいる。科学の手はなかなか「香りの女王」に届かない。
「バラの香りは少なくとも4000年前から愛されてきた」。グラースの街中にある香水博物館には、こんな説明文がある。その証拠は現在のイラクで見つかった「花の香りをかぐ女神像」(紀元前2000年ごろ制作)。古代メソポタミアの女神が両手に持つ一輪の花はバラにちがいない、という説だ。
女神像の大きな目は、調香師と同じく、うっとり遠くを見詰めている。
■ 6種に大別 バラの香り ■
―特徴と代表的品種―
現代バラの香りはざっと6種に分けられる。資生堂香料開発室(横浜市)の蓬田勝之主任研究員(54)らは、この10年で約1000種のバラの香りを分析し、分類を試みた。複雑に交配されたバラも、花姿を優先して改良された現代バラだが、香りの面でも先祖の特質がブレンドされて引き継がれていた。特徴と代表的品種を紹介する。
ダマスク・クラシック系
「芳純」
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ケンティフォリア系の強い甘さとガリカ系の華やかさを併せ持つ。「芳純」、「グラナダ」など
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ティー系
「乾杯」
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紅茶に似た上品で優雅な香り。中国原産のコウシンバラやギガンティアの成分を含む。「乾杯」、「ガーデンパーティ」など
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ブルー系
「ブルームーン」
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神秘的で透明感のある香り。青みがかったバラに特有。「ブルームーン」、「スターリングシルバー」など
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ダマスク・モダン系
「オクラホマ」
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クラシック系の成分を受け継ぐが、より情熱的で洗練された香り。「オクラホマ」、「パパメイアン」など
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フルーティー系
「ダブルディライト」
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桃やリンゴに似た香り。ダマスクとティーの成分を含む。「ダブルディライト」、「マリアカラス」など
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スパイシー系
「デンティべス」
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丁子に似た香り。ダマスク・クラシックの香りが基調。「デンティべス」、ハマナス系のバラなど
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宇宙船で栽培 ミニバラ開花
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向井さんが実験 より繊細な香水誕生
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宇宙からの帰還後、贈られた「オーバーナイトセンセーション」の鉢植えを持つ向井さん(米国テキサス州ジョンソン宇宙センター)=IFF社提供
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香水用のバラは宇宙でも栽培され、地上にない香りが生まれている。
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宇宙栽培装置内のミニバラ「オーバーナイト・センセーション」。上の針から香りの成分を採取する=IFF社提供
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1998年10月末、日本人宇宙飛行士、向井千秋さん(49)ら7人を乗せたスペースシャトル「ディスカバリー」が打ち上げられた。実験室には、香りの良い桃紫色のミニバラも乗っていた。無重量状態が香りの生成にどう影響するか調べるためだ。
実験は米国の香料会社「インターナショナル・フレーバー・アンド・フレグランス(IFF)」などが実施。10日間の飛行中、ミニバラ「オーバーナイト・センセーション」を栽培装置内で開花させた。そして向井さんらは、ビデオカメラを見ながら、特殊な針で香り分子を採取した。
地球に帰還後、地上で咲かせたバラの香り分子と比較した。すると、香りを構成する主要な三つの化学成分に際立った変化が現れていた。実際、宇宙で咲いた花は、より繊細でかぐわしかった、という。
香りは分子の配列が異なるだけで全く違う印象になる。地上では重力で固定される化学成分が、無重量空間では細胞内で流動化するなどして、分子構造が変わったのではないか、と考えられている。
IFF社の担当ブラジャ・ムクハジー博士は「地上ではできない全く新しい香りが生まれた」と実験を評価する。「宇宙バラ」の香り成分を入れた香水は昨年10月、資生堂が世界で初めて「ZEN」の商品名で発売した。
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2001.6.3