
上=雪解け水をたくわえ、澄み切った「天池」。バラを育てる 下=黄色が鮮やかなロサ・プラティアカンサ。カザフ族の子どもたちが散歩にやってきた(いずれもウルムチ郊外)
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ロサ・ペルシカ
ロサ・ラクサ
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ウルムチ
ロサ・ペルシカの群生地。地下では一つの根でつながっている
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ホテルから車で30分余り。郊外で高速道を降り、幹線道をわきにそれ、木材加工場の中をくぐり抜け、そうしてたどりついた石炭カスの捨て場だった草地に、探していたバラは咲いていた。
ロサ・ペルシカ。単葉の珍しい黄バラである。花の真ん中の褐色は「ブロッチ」と呼ばれ、まるで目玉のよう。ファインダー越しに見つめ合ったカメラマンは「寂しい場所に、何ともけなげに咲いているなあ」としきりに話しかけた。
その名の通り、ペルシャ原産のバラだ。そしてここは、イランから遠く離れた中国の西北部、新疆ウイグル自治区のウルムチ市。地名の通り、イスラム系ウイグル族の街である。
「周辺の山に木がないでしょう。水の再循環システムをつくり、植林します。10年後にもう一度おいでください。緑でお迎えしますよ」。私たちだけでは到底たどり着けないペルシカの咲く場所に案内してくれたウルムチ市園林管理局副局長の賀海洋さん(38)は、十分なお礼を言う暇も与えず、そそくさと職場に戻っていった。
そう、ここは砂漠も近い。シルクロードの街。
かつて、バグダッドから長安(現在の西安)から、人々はこの道を行き来した。そのうち、ラクダの背からバラの種子がこぼれたのだろう。人知れず芽を出し、やがてあちこちに花を咲かせたのではあるまいか。
キャラバン隊になったつもりで、私たちも歩き回った。
ウルムチから北へ。青空と雪山のたもとで天池は、澄み切った水をたたえていた。流れ出す川のほとりの山腹で、ロサ・プラティアカンサが鮮やかな黄色に咲きっていた。カザフ族の子どもたちが、甘い香りを吸い込む。
近くで、ロサ・ラクサの白い花も。シベリアから西アジアに咲く。
別の日、今度は東へ半日ドライブし、砂漠のオアシス・トルファンへ。イスラム寺院にバラ園があった。イスラム世界では、花といえばバラを指すという。古代の井戸のほとりの東屋(あずまや)の内壁に、バラの絵が描いてあった。
また別の日には、バグダッドに近づこうと西へ。水路わきでペルシカが、そよ風にブロッチを揺らしていた。
気を良くして、絹の道の「始発駅」西安へ飛んだ。秦の始皇帝が眠ると言われる墳丘のそばにバラ園があった。始皇帝の死を悼んだ有名な兵馬俑(へいばよう)博物館の庭園にもバラ園。市内の小高い仏塔のそばにも、やはりバラ園。
シルクロードならぬローズロード。行き交う人々は民族も宗教も顔つきも話す言葉も違えど、バラを美しいと思う心は同じに違いない。ばらの来た道―。
旅の締めくくりに、現在の首都北京を訪ねた。オリンピック誘致運動のためもあるのだろうか、天安門広場には吸い殻ひとつ落ちていない。ライトアップされた門前で、赤や白のバラが、夜風にほほ笑んだ。
北京
天安門広場にもバラが咲いていた
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トルファン
イスラム教寺院(モスク)と塔がバラを見守る
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西安
正面の丘に秦の始皇帝が眠ると言われる。手前にバラ園が広がっていた
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砂漠や草原を横切り、東西をつなぐ交易や交渉の道を「シルクロード」と名付けたのは、ドイツの地理学者リヒトホーフェンである。中国特産の絹を西アジアや欧州に運ぶとともに、イラン系文化の東進を促した。海の道もあった。
ロサ・ペルシカはイランや中国だけでなく、絹の道のルートと重なるアフガニスタンやウズベキスタンなどにも分布している。単葉であることなどからバラとは別属に分類する学者もいて、新疆ウイグル自治区の植物を網羅した「新疆植物志」でも、フルテミア・ベルベリフォリアという別名で記載してある。中国名は単叶薔薇(ばら)。
特徴的なブロッチを現代バラに取り込もうと、交配の親としても使われている。
ロサ・プラティアカンサ(中国名・寛刺薔薇)は、欧米ではほとんど知られていない野生バラ。現代バラに黄色を持ち込んだロサ・フェティダの同じ分類に属する。新疆や中央アジアに産する。
2001.6.24