創作性強まる要因に
神楽が、「農村舞楽」と呼ばれた。意識的に「神」の文字を消した。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)による検閲を受けた時期である。
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GHQの検閲を通過し、青いCP印が押された佐々部神楽団の台本を持つ今田さん
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口上の台本は厳しいチェックを受けた。ところが、検閲をきっかけに創作性を高めた新舞が誕生した。
安芸高田市美土里町の佐々木順三さん(96)。一九四八年ごろから、謡曲や歌舞伎をアレンジした新舞の演目を二十余り創作した。勧善懲悪でスピード感ある内容は今も好評だ。
「神楽がここまで発展したのは、佐々木さんの功績が絶大」。同市高宮町、佐々部神楽団の前団長、今田弘さん(76)は評価する。
検閲を通過するため、神道につながるような口上を省略するなど自主規制の動きを強めていた芸北地方の神楽に、佐々木さんの演目は急速に広がった。舞手が、遠慮のない世界を取り戻した。
「許可を受けた証拠だよ」。今田さんが四つ折りの半紙を丁寧に広げた。蔵に保管していた台本。表紙に「農村舞楽」台本と記され、検閲を通過した証しとなる青いCP(CensorPass)印が押されていた。
「戦後しばらく、『神』や『神道』をイメージする表現を避け、金属製の剣は木刀で代用するなどした」と今田さんは振り返った。
GHQは四五年九月、プレスコードを発表。四九年十月まで、新聞や雑誌、演芸など幅広い分野で検閲をした。占領下の検閲を研究する広島大教育学部の岩崎文人教授(60)は「日本の精神主義の復活に神経質になり、どんな小さな出版物でも対象にした。神楽も例外でなかった」とみる。
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神楽団の団員は、広島、山口、島根三県などを管轄する福岡市の第三地区検閲局に台本を郵送するか、持参した。
「地域の期待を背負ううれしさの半面、不安も大きかった」。広島市安佐北区白木町の上田二朗さん(81)は、こんな思いで台本を抱えて列車に乗り込んだ。切符を購入しづらい時期、三次市の旧国鉄十日市機関区に技工として勤めていたのが縁だった。
検閲局の窓口にいた背が高い米国人。日本語は通じない。持ち込んだ台本を舞って見せたが、理解してもらえない。「日本人の担当者が出てきた時、ほっとして、全身の力が抜けた」。演じる前から緊張を強いられた。
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