競演大会 優勝が励み
二十九枚の表彰状が壁を埋め、盾やトロフィー、タペストリーなどは三十を数える。競演大会で優勝を飾る輝かしい足跡が、豊平町の西宗神楽団の楽屋をにぎやかにしていた。
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新舞で初優勝したタペストリーを手に、大会の思い出を語り合う迫本前団長(右)と槙本団長(中)。左は団員の桑木武さん
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「旧舞は崩さずに守るので、新舞に挑戦したい」。若い団員の一言が転機だった。一九九五年。「団員全員が真剣に習う決意なら、私が頭を下げる」。当時の団長、迫本哲憲さん(63)が、旧舞から新舞へとかじを切った。
早速、新舞誕生の地、安芸高田市美土里町で最も有名な横田神楽団に通い始めた。「足袋を見たらぼろぼろ。練習量や神楽への姿勢が違った」。清水誠二さん(43)たち団員が目の当たりにした新舞は、大きな刺激となった。
厳かで美しく見える舞の型や口上、味わい深いはやし。横田神楽団オリジナルの演目「筑波山」。自らの練習を割いた熱心な指導を受けた。「感謝しきれない」。清水さんが何度も口にした。
車に分乗し、週三回。通いは二年間、続いた。その後、九八年に島根県六日市町の陰陽選抜神楽競演大会で初優勝。豊平町内の競演大会では、二〇〇一年から四年連続で優勝した。
団の公演回数を記したファイルがある。八六年から九五年まで、いずれも年間二―四回。戦前から伝わる旧舞を中心に、地元の秋祭りで舞うぐらいだった。それが、〇四年は三十五回に増え、過去最高の公演を記録した。団員の西村豊さん(42)は「団に勢いが出てきた」と喜ぶ。
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同時に、注目度も上がった。九九年には地元の女性、川内美尚さん(37)が入った。〇二年には、団の舞を見てファンになった相良賢治さん(15)が、広島市安佐南区の自宅から通うようになった。当時、中学一年生。最年少のメンバーだった。
団員は二十五人になり、この十年で倍増した。ところが、「横田のコピー。西宗の伝統が失われた」。槙本豊治団長(49)は、こんな声を耳にする。「コピーと言われるまで習得するのは難しい。むしろ誇りに思う」と語る。
横田神楽団の久保良雄団長(64)は「研究して舞い込んだら、西宗の型に生かさないと成長がない。真価が問われるのはこれから」とエールを送った。
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