2005.6.9
3. ブラジル移民 郷愁の舞

若手継承 古里と交流

 しょうゆだるの両端を切り、手作りした神楽の大太鼓。みそだるで作った小太鼓や着物を縫い合わせた衣装、般若の面もある。サンバの国ブラジルで約三十年以上前、県出身者たちが使っていた神楽道具の一部だ。

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公演前、所作を決めるブラジル広島神楽保存会のメンバー。中央の鬼は、寄贈された神楽衣装を着て舞った(4月2日、ブラジル・サンパウロ市)

 今は海外移住資料として広島市が所蔵する。牛革の太鼓面に、十五人の名前が刻まれている。そのうちの一人が、サンパウロ市で「ブラジル広島神楽保存会」の会長を務める安芸太田町加計出身の細川晃央さん(77)だ。

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 「懐かしさで心が震えた」と、細川さんが会の発足当時を振り返る。履物販売が不振になり、ブラジルへ移住してすぐの一九六九年。長男の生活を心配した父の故吾郎さんが細川さんを訪問。土産に持参したのが、般若の神楽面だった。

 娯楽がなかった時代。歓迎会の席で神楽面を見た県出身者は、子どものころに見た神楽舞台を思い出した。早速、面を着けて舞った。茶わんや皿をたたいて盛り上げる、ほろ酔いの人もいた。

 「子どものようにはしゃいだ。徐々に体が思い出し、本格的にやりたくなった」。約十五人で会を結成し毎週日曜に練習を始めた。ブラジル唯一の「神楽団」として最盛期には年三十回公演したが、九〇年ごろからメンバーの死去が相次いだ。高齢化も進み、活動はほぼ休止していた。

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 「伝統芸能を、日系の若者に伝えたい」。細川さんはそんな思いを込めて昨年六月、中国五県の県人会に保存会への参加を呼び掛けた。広島県などを通じて知った安芸高田市の美土里神楽連合会と高宮神楽連絡協議会もバックアップ。昨年十一月、計二百万円相当の神楽衣装を寄贈した。

 安芸太田町の津浪神楽団の元団長で、細川さんと中学時代の同級生だった尾坂秋三さん(77)は三月から一カ月間、末田健治団長(55)とサンパウロ市へ飛んだ。ほぼ毎晩、集まった五県にゆかりのある二十〜三十歳代の約四十人に、神楽の由来や舞い方などを教えた。

 「日本でも中国山地の一部で盛んなぐらい。地球の裏側で伝承されていて驚いた」と末田さん。滞在期間中、同市などで三回公演し、いずれもほぼ満員。尾坂さんは「舞台に食い入るように見てくれているのが分かり、行ったかいがあった」と会場の熱気を思い出す。

 本物の「ひろしま神楽」は知らない日系の若者だが、ブラジル移民百年に当たる二〇〇八年、リオのカーニバルで神楽パレードをする夢がある。細川さんは「生の神楽に触れる大切さが身に染みた。さらに交流を深め、神楽を互いに継承していきたい」と力を込めた。


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