行事継承 高まる役割
五月二十八日に安芸高田市であった神楽競演大会「さつき選抜」。旧舞の部で準優勝した北広島町の筏津神楽団は、翌日から約二週間、神楽から遠ざかっている。冬季を除き、週二回続けてきた神楽の練習を休み、花田植えで披露する田楽に力を注ぐ。
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最年長の堀内さん(手前中央)にならい、田楽の練習に励む筏津神楽団の団員たち
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同町筏津(旧大朝町)では「無理なく、確実に伝承しよう」と三年に一度、花田植えをする。今年が、その年。早乙女を含む総勢約三十人の三分の一は神楽団員が務める。練習は本番の十二日に向け、熱を帯びる。
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「神楽がなければ、地域は崩壊していたかもしれない」。団員で、筏津芸術村事務局長の渡辺敏臣さん(64)は強調する。
芸術村は、一九九六年に廃校した旧筏津小の校舎を活用し、洋画や陶芸教室に生かした施設だ。新しい時代を切り開く意味を込め、公立の鳴皐(めいこう)舎として開校して以来、百二十二年。歴史を重ねた小学校が消えた意味は、予想以上に「地域に大きな痛手だった」からだ。
例えば運動会。小学校から子どもの元気な声が聞こえてくれば、農作業の手を休め地域の者がみな校庭へ集まった。交流の良い機会だったが、学校の統合で小学生がいる家庭以外は参加しなくなった。渡辺さんは「地域のつながりを維持するのが、徐々に難しくなってきた」と感じる。
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団員で、田楽では総指揮役「さんばい」を務める橋渡良臣さん(58)も、言葉を続ける。「コメ作りを通じ、近所の人と毎日顔を合わせていたころと違い、今は一週間会わないことも再々ある」。円滑に地域行事などをし、継承するには「練習で定期的に集まる神楽団の役割が、昔以上に高まっている」とみる。
建設業、郵便局員、会社員、農協職員―。約二十人の団員は、十七歳から七十一歳までと年齢層も幅広い。最年長の団員、堀内玉章さん(71)は「好きな者同士が年齢を超え、気心が知れた付き合いをしていれば、互いに何を考えているのが分かる」と、欠かさず練習に足を運ぶ。
団員の「打てば響く」関係は三年ぶりの花田植えにも威力を発揮する。「団として参加を強制したことはないし、義理だけでは務まらない」と今田修団長(37)。神楽では熱意のあまり、口論になることもあるが「口だけでなく、自らやって背中で見せる先輩たちはさすが」と敬う。
「鳴皐魂 受け継ぎて 明日へ大きく 羽ばたかん」。旧筏津小の校歌を掲げた芸術村の体育館で、田楽の練習が続く。心を一つにした田楽ばやしは、神楽ばやしに替わって夜遅くまで鳴り続いた。
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