古里の逸話交え紹介
「時代を変えようとする地方の力は、平安貴族によって世を乱す鬼に仕立てられた。鬼は、一握りの権力者に討たれていく。その悲哀が、神楽には舞い込まれている」。庄原市総領町で一日にあったイベント「おいでん祭」の前夜祭。神楽上演を待つ会場に、ナレーションが静かに流れた。
原稿を考えたのは、北広島町丁保余原で企画会社を経営する神楽プロデューサー石井誠治さん(56)。「粗筋ではなく、時代背景を伝えれば、一歩進んだ見方ができる」。正義が悪を退治する勧善懲悪の世界とみられがちな神楽を、「鬼」イコール「悪」ではない、と鬼から見た神楽を紹介する。
同町に生まれた。生涯教育を担当した町役場を一九八九年に辞め、神楽を軸にした企画会社を立ち上げた。「神楽しかない町から、世界に誇る神楽がある町にしたい」
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神楽の見方が大きく変わったのは、九四年だった。神楽の魅力を伝える写真集「炎の舞」を作るため、神楽団の写真を撮り歩いた。が、何か物足りない。「芸北地方の取材だけでは客観性がない。演目の古里を訪ねよう」。全国の伝説の地を巡り、演目に込められた意味を探る旅に出た。
驚きの連続だった。平将門の娘が鬼となり、父の敵討ちを狙うが、返り討ちに遭う演目「滝夜叉(やしゃ)姫」。福島県いわき市の恵日寺には、滝夜叉姫が使ったとされる井戸や大きな墓があった。住民から、姫は尼となり、一族を供養しながら生涯を閉じたと聞いた。「仏に仕え、今もまつられている人を鬼にしている」
都落ちした「鬼女」が略奪を繰り返し、紅葉を愛でるわなの宴を催すが、最後に討ち取られる「紅葉狩(もみじがり)」。舞台である長野市の解説板には「京の文化を伝え、万病を癒やす術を心得、里人にとっては鬼女ではなく、貴女であり…」と記載される。今も年二回、供養祭が続いていると知った。
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十日間で十七演目の地を回った。山間部が多かった。四千キロを超える旅で学んだのは、神楽と地元の伝説の違いだった。権力に逆らった末の悲劇や、一千年以上前からある中央と地方の対立構造からあぶり出される神楽の別の顔が見えてきた。
「神楽を県外で発表するには、相応の解釈がなければ問題が起こる。意識改革が必要だ」。ナレーションには、悲劇を逆説的にとらえ、時代を切り開く地域の活力に変えていきたいという願いを込める。
「誠の鬼人と申するは、都において我が世の春を歌いたる、汚れし人の心なり」。同町川戸の中川戸神楽団が九六年に発表した創作演目「青葉の笛」では、鬼退治が終わった後、こんな口上で締めくくられる。地方の郷土芸能とは何か。正面から考えるきっかけを与えてくれている。
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