<1> ドイツの脱原発 全廃へ多難な道(2)
全廃へ多難な道 |
代替エネルギー CO2削減に課題 |
「性急」政権内にも異論 |
ドイツ政府と電力業界は二〇〇〇年六月、「原子力発電所は運転期間三十二年ですべて廃止する」ことで合意し、二〇〇二年四月に改正原子力法を施行。世界初ともなる脱原子力政策が動きだした。だが原子力は電力供給の三分の一を占めており、政府は代替エネルギー確保や地球温暖化防止に向けた二酸化炭素(CO2)削減など、厳しい課題も突き付けられている。
▽発電用風車が林立
首都ベルリンから高速道路で北へ約一時間走ると、バルト海に面したメクレンブルク・フォアポンメルン州に入る。道の両側には十基、二十基と風力発電用の大型風車が林立している。
風力発電協会によると、二〇〇一年十二月末現在で全国に一万千四百四十基(最大出力八百七十五万キロワット)あり、同年の総発電電力量の2%を占めた。大半がメクレンブルクなど北部三州に立地する。同協会は「二〇一〇年には、全国で今の二倍以上に普及する」と予測する。
今や世界の風力発電の三分の一を占めるドイツ。その背景には、風力など再生可能エネルギーを普及させ、脱原子力の実現を目指すシュレーダー政権の強い後押しがある。その決め手が二〇〇〇年四月施行の再生可能エネルギー法だ。
ドイツでは既に一九九〇年の電力供給法でクリーンエネルギーに補助を始めていた。だが、九八年四月の電力自由化で電気料金が下がったため、新たに風力発電には当初五年間は一キロワット時当たり約十一円で買い取るなど、水力、太陽光なども含めて買い取り保証を付けて普及を支えた。
脱原子力政策は、社会民主党(SPD)と緑の党の連立によるシュレーダー政権が「原子力は長期的リスクを抱え、核廃棄物は将来の世代を害する。国民の大多数も望んでない。この政策は、原子力をめぐる長い論争解決の一ステップだ」として進めている。
緑の党出身のユルゲン・トリッティン環境相は「再生可能エネルギーの普及により、原発の廃止は可能」と強調する。
再生可能エネルギーは二〇〇一年の総発電電力量の7%で、二〇一〇年には12.5%に高める計画である。再生可能エネルギー法では、二〇五〇年に50%まで引き上げる長期目標も掲げた。
▽「合意には喜べぬ」
一方、電力業界は「政策は誤り。喜ぶべき合意ではない」(エーオン社)などと、シュレーダー政権に反発する。昨年九月の総選挙でも脱原子力政策の撤回を掲げた野党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)を推した。
反対理由は、〇一年で総発電電力量の33%を占める原子力に取って代わる電源がないことだ。ドイツ電力産業連合会(VDEW)の予測では、二〇二〇年の再生可能エネルギーは9%にとどまる。
政府見通しより低いのは、電気の安定供給が難しい風力や太陽光などの普及には一定の限界があるとみるからだ。ただ、原子力も段階的な閉鎖で9%に下がるため、天然ガスを〇一年の7%から20%に増やすなどしてカバーするという。
▽排出ガス増と試算
CO2削減でも不利。政府も原子力は九〇年代では平均年間一億トンの排出抑制に貢献したと認める。南部のバーデン・ビュルテンベルグ州の州工学影響センターは、州内の原発五基を閉鎖した場合、州全体のCO2排出量が年平均12.5%増えると試算した。課題は原発の閉鎖が本格化する二〇一〇年以降、いかに削減できるかである。
ヴェルナー・ミューラー前経済相も「すべての原発の閉鎖を前提に温室効果ガス削減を進めると、経済は大きな打撃を受ける」と指摘。政権内部にも性急な政策推進には異論があることをうかがわせる。
シュレーダー政権は十二月、最も古い六九年から稼働するオブリッヒハイム原発に対し、運転期間を延長したうえで、二〇〇五年十一月で閉鎖することを決めた。改正原子力法に基づく初の廃止措置だ。
最も新しいネッカー2号機は八九年の運転開始で、九〇年代以降は新設の動きも途絶えた。将来の政権交代次第で政策が見直される可能性も残すものの、早ければ二〇二一年ごろに原発が消える日を迎える。
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脱原子力の実現に向けて政府が後押しする風力発電(メクレンブルク・フォアポンメルン州) |
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<改正原子力法の骨子>
原発の新設は認めず、既存の原発19基の運転期間を32年に限る。その年数をベースに、2000年1月1日以降の原発の総発電電力量を2兆6233億キロワット時と設定した。最新の原発は1989年の稼働で、単純には2021年で全廃となる。ただし、効率が低い原発の発電分を他の原発に振り替えることもできるため、全廃時期は数年から10年程度ずれ込む可能性もある。
また、再処理用の使用済み燃料の輸送も05年6月まで。同年7月以降は直接処分だけを認める。地元に反対のあるゴアレーベンなどでの最終処分の調査研究は3―10年間棚上げする。
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