欧米からの報告 原子力を問う
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<2> スウェーデンの全廃政策
2003/01/12
20年かけ1基停止
■ 環境・代替問題…大半は白紙 ■
 
 1980年に国民投票を実施し、世界の先頭を切って原子力発電所の全廃を決めたスウェーデン。99年にようやく1基を廃止したものの、20年以上たった今も原子力が電力供給の半分を占め続け、残る11基の大半の廃止については白紙状態となっている。脱原子力の理念と現実とのギャップをどう埋めるか―。政府は重い宿題を背負いながら、模索を続けている。(編集委員・宮田俊範、写真も)

 スウェーデン最南端のマルメ市北部近郊にあるバーセベック原子力発電所(1、2号機、出力各六一・五万キロワット)。北欧では厳しい冬場に暖房需要の急増で電力消費のピークを迎え、2号機は今、フル稼働している。中央制御室では七人の当直員が運転管理に忙しい。

 だが、廊下一つ隔てた1号機の中央制御室の当直員は二人だけと閑散とした雰囲気だ。政府の命令によって、九九年十一月で運転をストップさせられたからである。

 七五年に完成した1号機は既に燃料棒は抜き取られ、二〇一五年ごろに予定されている高レベル放射性廃棄物の処分場建設を待って、原子炉の解体作業が始まる。

 ▽電力供給に不安

 スウェーデンは昨年夏からの雨不足で、原子力と並び電力供給の半分を支える水力発電がピンチに陥っている。「電力不足が今は一番の心配。1号機が動いていてくれたら…」とリーフ・オスト所長がぼやいた。

 スウェーデンでは七〇年代に六基、八〇年代には六基の原発が稼働を始めた。このうち政府の原発全廃政策にのっとって真っ先に停止されたのが、バーセベック原発1号機だった。

 政府は今、2号機の停止も命じようとしている。今年三月にも、年内に停止するかどうかの判断が下され、停止となれば三百六十五人の職場がなくなる。オスト所長は「従業員はいつ廃止されるか、という不安を抱えながら働かねばならない」と打ち明ける。

 北欧の原発先進国から脱原発先進国への転換は、七九年の米国・スリーマイルアイランド事故が引き金だった。国民の反対が強まり、各政党とも脱原子力へと方向転換。八〇年三月には原子力に関する初めての国民投票を実施した。

 投票では「原発の設置は運転中の六基と八〇年代に稼働する六基を合わせた計十二基に限り、その後の新設は認めない」という選択肢が過半数の支持を集めた。国民投票の直後、国会で「二〇一〇年までに全廃する」との具体的な廃止目標が定められた。

 ▽政権交代で延期

 それがなぜ一基目の廃止まで約二十年もかかったのか―。廃止の着手年限は時の政権に委ねられたうえ、政権交代が相次いだ影響が大きかった。

 社会民主党政権は八八年に「九五年から原発の廃止を開始する」と決めたが、九一年にその決定を撤回。次の右寄りの穏健党政権は全廃政策を事実上、棚上げしていた。

 続いて九七年には、中道左派連合のペーション政権が二〇一〇年の全廃目標も取り下げた。代替エネルギーがなく、九〇年代から地球温暖化問題も浮上した中で、現実には不可能な目標となったというのが理由だ。

 ただ同時に「原発廃止の流れを確実なものとし、持続可能な社会の実現を目指す必要がある」と強調。バーセベック原発だけは政策堅持の象徴として早期廃止に持ち込む決定を下した。

 政府は原発を所有するスウェーデン第二の電力会社シドクラフト社に七百七十億円の賠償を払って1号機を廃止。2号機についても今、同社やコンサルタント会社の意見などを集約し、廃止の検討を進めている。

 三基目以降は白紙状態である。シドクラフト社のスティーグ・クラーソン副社長は「環境保護のためにこれ以上、水力は増やせない。化石燃料は地球温暖化を招くし、結局、原発の電力を賄えるエネルギーは見当たらない」と説明する。

 ▽国民意識も変化

 最大の電力会社である国営バッテンフォール社は「原発の全廃費用は総額約四兆円が見込まれる」として電力価格が二倍になる可能性を指摘。政府のエネルギー委員会も「最大で年間三千六百万トンの二酸化炭素(CO2)発生につながる」とみるなど、早期の全廃にはクリアすべき課題が山積みである。

 国民意識も国民投票当時とは変化していることも見逃せない。政府関連のストックホルム基礎調査局が二〇〇〇年に実施した世論調査では、原発の早期廃止に77%が反対し、地球温暖化防止には原発の役割が重要とみる割合も83%に上っている。

 ペーション政権は昨年六月、国会で新エネルギー政策を承認された。「原発の廃止期限は設定せず、新たに政府と電力業界との間で段階的廃止に向けて協議する」という内容だ。廃止には「環境を損なわず、電気料金や産業界にも悪影響を与えない」という条件も設定している。

 全廃という政策目標は堅持しながらも事実上、早期廃止は難しくなったといえるだろう。

スウェーデンの原子力発電所
 発電所  出力
(万キロワット)
炉型 運転開始
(年)
所有企業
バーセベック※ 1号
2号
61.5
61.5
BWR
BWR
1975
77
シドクラフト
フォルスマルク 1号
2号
3号
100.8
100.8
119.0
BWR
BWR
BWR
1980
81
85
フォルスマルク
オスカーシャム 1号
2号
3号
46.5
63.0
120.5
BWR
BWR
BWR
1972
74
85
シドクラフト
リングハルス  1号
2号
3号
4号
86.5
91.0
96.5
96.5
BWR
PWR
PWR
PWR
1976
75
81
83
バッテンフォール
※は99年11月に停止、BWRは沸騰水型・PWRは加圧水型
 (日本原子力産業会議調べ)


産業・雇用・通信省エネルギー・第一産業局副局長
 マリア・ワーンベリュ氏


「今日の時点で、原子力の代替エネルギーに見通しが持てる人はだれもいない」と語るワーンベリュ氏
 ■ 脱原発の流れ変えぬ ■

 スウェーデン政府の原発全廃政策は今後、どう進められるのか。政策立案の責任者、産業・雇用・通信省のエネルギー・第一産業局副局長、マリア・ワーンベリュ氏に聞いた。

 原発全廃の政策は変わりませんか。

 スウェーデンの政治家は、原子力というものの存在が不安定なものだと感じ、政治的に非常に難しい問題とみている。世界のどこかで事故が起きると、すぐ国民から強い圧力がかかる。事実、国民の反発で一九七〇年代には全閣僚が辞任する事態も起きた。もちろん、八〇年の国民投票で脱原子力に賛同する意見が大勢だったことが今も影響を与えている。

 国民投票の決定は重いということですか。

 スウェーデンの国民投票は政策の諮問的な位置付けであって、投票結果が即座に実行に移されるわけではない。その後、地球温暖化防止のうえからも、原発のない社会を築くには長い期間がかかることが分かり、当初の想定よりは廃止時期が先延ばしになっている、だが、もう脱原子力の流れは変えられない。

 廃止一号はなぜバーセベック原発だったのですか。

 政府は八六年のチェルノブイリ事故後に国内の原発をすべて調査し、旧ソ連の原子炉とはタイプが違うし、安全性を理由に廃止することはない、という結論だった。バーセベックを選んだのは立地場所からの判断。コペンハーゲンの対岸にあり、原発を持たないデンマーク政府から、いろいろ注文を付けられていたからだ。

 2号機の廃止は実行できますか。

 代替エネルギーがあるか、電気料金が高くならないか、産業の競争力を損なわないか、環境に影響を与えないか―という国会で定めた条件をクリアする必要がある。二〇〇〇年と二〇〇一年にも検討したが、環境に悪影響を与えるという結果が出て廃止を見送った。今回もまだ多少問題が残っているようだ。

 脱原子力を実現していくには、代替エネルギーの確保が鍵ですね。

 正直言って、今の時点でどのエネルギーで代替できるか、それを言える人はだれもいない。世論調査をしても、今では国民の大半が原発を寿命が続く限り使うことに前向きな意見だろう。ただし、原発の寿命がくれば必ず別の発電が必要になる。それで政府は、ドイツの脱原子力合意を参考に電力業界と一緒に取り組めないか、協議することにした。

 ドイツのように「運転三十二年後に廃止」といった取り決めを想定していますか。

 いえ、その交渉を始めたばかりで、交渉が成り立つかどうかも分からない。発電の原子力比率がドイツの三分の一より高いことも当然、考慮しておかないといけない。多分、ドイツとは違った新しい原発廃止モデルができるだろう。
政府の命令で運転を停止して3年余り。閑散としたバーセベック原発1号機の中央制御室で働く当直員

冬場の電力需要のピークを迎えてフル稼働するバーセベック原発2号機(左)と、停止した1号機(マルメ市郊外)




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