定まらぬ国策 合意必要 ― 福島県知事 佐藤栄佐久氏
福島は、わが国最大の発電県で原子炉も十基ある。これまで国策だから間違いないはずという前提で協力してきたが、最近はどうもおかしいと感じられることが多い。
例えば、使用済み燃料を一時貯蔵する共用プールについて、燃料の搬出に関する約束が国からほごにされた。東海村臨界事故やMOX燃料データ改ざん事件などで国民の原子力に対する信頼が後退している最中の二〇〇一年に突然、プルサーマルを実施しようとする電力会社の動きが報道されたこともある。さらに同年には、電力会社から火力発電所などの新規電源開発計画の凍結が一方的に打ち出された。
いったん決めた方針は国民や地域の意向がどうあれ国家的見地から一切変えないとする一方で、自らの都合によってはいとも簡単に計画を変更してしまう。国や事業者のブルドーザーが突進するようなやり方では地域がほんろうされるだけだ。全国の産炭地が過去のエネルギー政策の結果、今日どうなっているか。人や金がどっときたが、潮が引くように衰退した。
そんな危機感からわが県は〇一年にエネルギー政策検討会を設置した。その検討過程で分かったのは、国のエネルギー政策、中でも原子力政策がいかにいいかげんなプロセスで決められてきたかだ。国民生活に大きな影響を与えるはずの政策が国会での議論を経ることなく決められている。
とりわけ核燃料サイクルについてはさまざまな意見があるため、疑問点を国に提示した。@ウランが安定供給されても核燃料サイクルは不可欠かA資源の節約になるのかB経済性に問題はないのか―などだ。だが、国からいまだ納得できる回答は得られていない。
膨大な費用がかかるプロジェクトが十分な議論を経ることなく進められていることに対し、われわれは国民に問うべきだと考える。直接処分など他の選択肢と比較しながらコンセンサス会議で論議し、いったん立ち止まることになっても、また国民が見直そうとなれば再開すればよい。
私もこれまで直接、総理や経済産業相、自民党五役に申し上げてきた。国民的論議を経て政策を決める仕組みづくりが必要である。
再処理 着実に進めたい ― 電気事業連合会会長(関西電力社長) 藤洋作氏
原子力発電はエネルギー基本計画において基幹電源として明記されている通り、安定供給やエネルギーセキュリティーの確保、地球温暖化問題への対応の観点から、その必要性、重要性は今後ともいささかも変わるものではないと考えられる。
また、電気事業は地域密着型の事業。立地地域を含めた地域のお客さまからの信頼こそが最大の経営資源であり、事業の基盤となっている。こうした中、東京電力のトラブル隠しはその基盤を揺るがす重大な問題で、あらためて原点に立ち返り、業界全体で信頼回復に取り組まねばならない。
具体的には、電力十社と日本原子力発電、日本原燃、電源開発の十三社の社長で構成する信頼回復委員会を発足。行動方針を改定したり、新たな情報公開促進策、倫理プログラムに焦点を当てた相互評価などの諸施策を講じ、粘り強く地域との対話活動も進めている。
新たな原子力開発利用長期計画の策定が始まったが、核燃料サイクルはこれまで八回にわたって実施された改定ごとに、その方針が再確認されている。資源に乏しく島国であるわが国のぜい弱なエネルギー構造を踏まえれば、この位置付けは今後とも変わらないと認識している。
ただ、核燃料サイクル事業は超長期性、不確定性、発電から支払いがはるかに遅れること、未回収費用の存在など一般の産業やビジネスとは大きく異なる特徴がある。電力自由化が進展し、総括原価制度というコスト回収の仕組みが機能を果たせなくなる中、年内に法制度の整備をはじめ、必要な措置が講じられることを強く期待している。
プルサーマルについては、実施できる電力会社から進め、二〇一〇年度までに十六―十八基で実現したい。青森県六ケ所村の再処理工場の操業とプルサーマルの実施は資源の節約効果、適切な廃棄物処理・処分の観点に加え、国内で商業規模のプルトニウム利用技術を定着させていくための重要な第一歩である。
核燃料サイクル技術の確立は時間を要するものである。将来の選択肢として高速増殖炉を目指すことを踏まえれば、再処理工場とプルサーマルを着実に進めることが肝要と考える。
過剰な介入 国は見直せ ― 九州大大学院比較社会文化研究院教授 吉岡斉氏
原子力発電所は一九九七年までは直線的に増えてきた。九〇年代に十五基できて五十一基となったが、二〇〇〇年代に入ると建設中を入れても五基。それは電力需要そのものが成熟したからだと言わざるを得ない。転換期を迎えている。
今後、需要は少しぐらいは伸びても、その分は自家発電や新規参入業者などに食われる。省エネの進展などでむしろ下がる要因もある。原発も寿命を迎えて更新され、出力の小さな三基当たりの代わりに大きな一基を建てるような具合に現行の五十二基体制も減っていく見通しだ。役所も原発の新増設については、冷ややかな見方に変わっている。
発電コストは九九年に一キロワット時当たり五・九円と石炭や石油などの火力発電より安いとされたが、実際は国の支援でかなり優遇されている。このげたを履かせなけば、一円とまではいかないが、原子力の方が高い。
今論議されている核燃料サイクルも、その合理性はないと考えられる。理由は三つある。一番目はプルトニウムは怖いからで、あれを常時大量貯蔵、輸送するシステムのぜい弱性を狙われたら大変だ。二番目はコスト問題であり、電気事業連合会が出した試算は安すぎる。実際はかなり高くつくだろう。三番目が安全で、再処理によって最終処分する物質量は減っても、その工程で事故の可能性があるからだ。
資源を節約できるメリットも少ない。せいぜいプルトニウムで15%ぐらい。その節約にどれだけ意味があるのかと考えたら、損得勘定ではデメリットが多く、メリットが少ないといえる。
ただ、現状では再処理工場を動かさずに済むかというと、誰かが待ったをかけない限り、タイムテーブルに乗ったまま稼働に至る。最悪の事態は、待ったがかからないまま稼働してしまい、後になってその負債を税金という国民負担で処理するようになることだ。
国は、政策を考える際に原子力に対する過剰な介入、規制、保護をやめるべきである。政府が介入して原発を造ったり、電力会社をつなぎ止める仕組みはだんだん弱まっている。それは不可逆的な動きであり、新たな長計ではその方向性を一段と進めるべきだろう。
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