中国新聞
2003.10.27

地域の宝
   取り戻そう
 「里海 いま・みらい」  8.海を身近に

 ◆◇ 動き出した住民 ◇◆
宮島のグループ 生きた教材 カメラマンの目

 


地図「腰細浦」
Photo
砂がさらわれ、浜がやせた腰細浦で漂着物を調べるMMMのメンバー(11日、広島県宮島町)

  宮島のグループ

白砂青松 復活に挑む

 世界遺産の厳島神社で知られる広島県宮島町で、白砂青松の浜を取り戻そうという市民活動が芽生えている。海岸での清掃活動のほか、子どもたちに環境学習の場を提供する各種プログラムも開発。今年1月に施行された自然再生推進法を活用した海岸再生も検討している。

 環境保全グループ「みやじま未来ミーティング(MMM)」。県などが宮島で開いた海岸保全ワークショップの修了者有志が昨年4月に結成した。県内の会社員や自営業、大学生など多様な市民約30人が集い、地元住民も加わる。

 ■市民に環境学習

 活動は、島の東部にある腰細(こしぼそ)浦の再生、環境学習プログラムの開発、観光客にごみを持ち帰ってもらう運動の3本柱。環境学習では、干潟やプランクトンの観察、藻塩づくり体験、植物観察など子どもや市民向けのプログラムを展開している。

 「宮島の自然を守るには、未来を担う子どもたちとの連携が不可欠。この活動を通じて、自然を愛する心を育てたい」。メンバーの建築設計士三谷昌一さん(57)=広島県大野町=は宮島町出身。思い入れは人一倍強い。

 腰細浦は1950年代半ばまで、白い砂に青い松が映える浜だった。夏場は海水浴客でにぎわった。しかし、砂が流出し、松の根もむき出しに。メンバーは、埋め立てなどによる潮流の変化が主な原因とみている。

 漂着したペットボトルなども散乱。定期的に拾い集めているが、11日の清掃時にも多くのごみが打ち上げられていた。「きりがない」。参加者からため息が漏れた。

 さらに、砂の上にはおびただしいタイヤ痕。2カ月前、車両が入れないように置いた木の切り株は、すべて投げ捨てられていた。「砂地の植物が踏まれて枯れる。せっかく風などでできた砂の山や模様も壊してしまう」とメンバーは悔しがる。

 ■「推進法」を視野

 こうした活動を発展させ、効果を高めるため、MMMは地域主導で自然環境の保全や再生が進められる自然再生推進法の活用を検討中。海岸に砂を入れたり、松を植えたりする再生事業への適用を目指す。

 同法で活動主体と想定する地元住民らも注目する。宮島漁協職員の小田成則さん(57)は「浜の景観を取り戻すため、協力したい」と前向きだ。12月には、住民も加わって腰細浦清掃を行う。

 県内で環境教育や地域リーダー育成事業を進めている県環境保健協会の上田康二・地域支援室長(44)は「瀬戸内海を守るには、多くの住民が海に近づき、主体的に活動する必要がある。MMMの取り組みはその試金石。人と海のつながりを取り戻すモデルケースになるよう支援したい」と期待している。

 
 
  生きた教材

清掃や調査 自然学ぶ

 瀬戸内海沿岸で、海岸清掃や生物調査などを通して海を身近に感じ、自然環境を守る大切さを学ぼうという「海の教材化」の取り組みが広がっている。

 広島県は昨年度、海辺で活動する住民グループ5団体を「せとうち海援隊」に認定した。このうち、「環境市民ネット松永」は福山市の松永湾で清掃や水質・生物調査を続けている。

 海の環境を守るとともに、活動の輪を広げるのが目的で、県はホームページで活動を紹介し、傷害保険の加入料を負担。沿岸自治体は回収したごみの処分を引き受ける。

 今年3月には生物調査のマニュアルも作成。5年間で70団体を指定する計画だ。稲田英明環境調整室長(56)は「主な海岸ごとに核となる団体を育て、海への愛着心を高めたい」と意気込む。

 岡山県では、十数年前にダイバーが始めた海底清掃が、特定非営利活動法人(NPO法人)「瀬戸内探検隊」の設立(昨年9月)につながった。中、高校生に教材として提供するため、海底のごみや生物を撮影したビデオ制作に取り組む。

 「山口県海岸クリーンアップ同盟」(事務局・防府市)は9年前、日本の海岸の汚れを嘆く米国人女性の呼び掛けで発足。年3回、市民と県内在住の外国人が集って清掃し、きれいになった浜で弁当を広げ、スポーツも楽しむ。広政元子代表(56)は「自分たちにできることをしているだけ。海を共有する地球人としての一体感が、参加者に伝わるとうれしい」。自然体を貫き、息の長い活動を目指す。

 


Photo
砂がさらわれ、根がむき出しになった松を調べる脇山さん(11日、広島県宮島町の腰細浦)

  カメラマンの目

原風景次代に 再生へ一歩

 「風光明美な瀬戸内海の景観を取り戻し、子どもたちに残したい」。広島市中区のカメラマン脇山功さん(50)の言葉が熱を帯びた。瀬戸内海を追い続けて16年。みやじま未来ミーティング(MMM)のメンバーでもある。被写体としてだけでなく、環境や景観の修復活動にも目を向けるようになった。

 広島県蒲刈町は今年5月、町南部の海岸に松の木を植えた。両脇にある採石場から流出する砂が、白と黒の小石が交じる美しい砂浜を覆ってしまっていた場所である。無残な光景に心を痛めた脇山さんが働き掛け、町が提案を受け入れた。

 花こう岩質の白い砂浜と青い松は、瀬戸内海の原風景でもある。延長約800メートルに、樹高約1・5メートルの苗木52本。風格ある姿になるまで約40年かかる。「ここから松を通して見る海は、故郷の風景として島の子どもたちの心に刻まれる」と脇山さんは確信している。町は今後も沿岸部の緑化に取り組む方針だ。

 瀬戸内海が主な題材になったのは、フリーカメラマンとして独立した1987年から。海面を輝かせる朝日など瀬戸内の景観美に魅せられた。各地を訪ね歩き、今では「どの島か、形ですぐに分かる」という。

 被写体はやがて海そのものから、漁業者の営みや海の生物へ…。5年前、瀬戸内海の歴史や生き物、文化などを紹介する写真グラフ誌「せとうち風光」を発行した。現在、八号を数える。

 ファインダーを通して海と向き合ううち、海岸線の変化が目に付くようになった。大きくえぐられた波打ち際の山肌、砂をさらわれ、やせた浜…。「犯人は潮流の変化。埋め立てが原因」とみる。

 瀬戸内海は危機的な状況にあるが、市民の目は遠のいているように思えてならない。「美しい海岸、海を眺めたことがない子どもに、海を大切にしようという気持ちは生まれない」。再生のモデルは愛媛県弓削町の豊島。生まれ故郷だ。

 「人々の海への関心を取り戻すには、近づきたくなる海岸が必要。住民の立場から、そんな浜辺を一つでも多く取り戻したい」。MMMもその一つの試み。ゆっくりだが、確かな歩みが続く。