■被爆後の復興 高い志
故中山さん 12項目を掲げ結束
「都心の将来像を論議しないまま、都心交通の一部にだけ手を付けて、あしたの姿が見えてくるんだろうか」
社会実験のプラン策定に市民代表として携わった、特定非営利活動法人(NPO法人)の委員二人は事前に、そろって不安を口にした。
今回見送った車の乗り入れ規制の実験にしても、賛否両派がともに「ビジョンが先決」と注文をつけた。「例えば、二十年先には都心内へのマイカー乗り入れは制限するとか、着地点を見せれば、商店も駐車場の経営者も市民も考えるはず」というのだ。
毎日を実験に
都心のあしたを、どう思い描くか―。それ次第で、何げなく通り過ぎるだけだった都心での過ごし方、見方が変わってくる。ビジョンが市民に行き渡れば、実験期間を区切らなくても、毎日が社会実験になる。
「本通りにはね、そりゃあ骨太のビジョンがあるんですよ」。広島本通商店街振興組合の理事長、望月利昭さん(61)が教えてくれた。
「一、平和都市の名に恥じぬ商店街…」と始まる本通りの復興ビジョンは一九四六年ごろ、元教員で「中山楽器店」を営んでいた故中山良一さん(一八九〇〜一九七六年)が書いた。被爆後の原子砂漠を奔走し、商店街をよみがえらせた初代理事長だ。
全部で十二項目からなる復興ビジョンは「福祉社会にふさわしい平面百貨店」「街路は完全歩道として、電柱などを立てない」「高層建築の規制」など、半世紀たった今でも格調高い。
生き残った同士、手を取り合って泣く場面から始まった本通り復興の話し合い。地主たちは無条件で中山さんに土地利用の調整を預け、借地人も我を慎んだ。「今の本通りは、私心なく、広島の未来を見通した先人たちの遺産」。伝統を引き継ぐ望月さんは、気を引き締める。
呼び名は「町衆」
本通りでは正月、理事長の年頭所感を店々に配る。昨年、今年の文面で、聞き慣れない「本通りの町衆」という呼び掛け文句が躍った。
「わがまち感覚というか、マイタウン意識を呼び覚ましたかった」と望月さん。本通りにも全国チェーンの店舗が増え、地元の人間が商う店は四割ほどに減ったという。住んでいる人は、さらに少ない。「立脚点というでしょ。愛着のないところには、まちづくりのビジョンも何もあったものじゃない」
今回の社会実験も、都心はみんなのものというマイタウン意識をはぐくむ効果があったと思っている。
2004.2.28
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