■通り命名 楽しみ広がる
広島市中区の基町環境護岸の先端に、高さ十メートルを超すポプラが一本ある。ラテン語の「populus(人民)」を語源とし、古代ローマ市民が木陰に寄り添って集会を開いたとされる木だ。
「このポプラって何物?」―。佐伯区の会社員隆杉純子さん(43)は、東京から十四年ぶりに帰郷した昨年五月、素朴な疑問に駆られた。やがて、行政や市民、学生を巻き込み、都心の川沿いの道に呼び名を付ける運動「川通りの命名プロジェクト」が生まれた。
「魂が宿る」
メンバーの一人、中区の地域計画プランナー前田文章さん(43)は「名前を付けると、その場所に魂が宿る。まちづくりでは、すごく重要なことなんです」と話す。基町環境護岸には、市民公募で「基町POP'La(ポップ・ラ)通り」の名が付いた。
命名から二カ月すぎ、隆杉さんたちは、川通りの名を市民に定着させようと懸命だ。手始めに、ポプラの「履歴書」を作り、冊子や紙芝居にして広めることにした。
一九七九年、護岸設計に携わった中村良夫・東京工業大名誉教授(65)は「水辺に真っすぐポプラが立つ姿はとても魅力的。絵になる風景として、意図的に残した」と話す。ほかにも何本かあったが治水対策上、やむなく切ったという。
樹齢は不明
中国新聞社が六九年に撮影した航空写真には、原爆で家を失った人たちの住宅群が大火で焼けた後、更地に植えたとみられるポプラらしき並木が見える。
専門家によると、ポプラは自生が難しく、大半は人が植えている。環境に恵まれればぐんぐん育ち、外観からは樹齢を特定しづらいという。いつ、誰が植えたかはまだわかっていない。
隆杉さんは「まちづくりの始まりって、一般の人にはどうだっていいことだったりするでしょう。『大きなお世話』をやって盛り上がりたい」。設計者と水辺を歩いたり、ポプラにまつわる情報を募ったりと、息の長い活動を描く。
対岸見守る
「広島でとても景色のいい場所。こう言うと大抵、私と事務所を覚えてくれる」。POP'La通りの対岸にあるビル九階に保険事務所を構える三原進さん(49)も、ポプラを愛する一人だ。
日々、パソコン越しにポプラと向かい合う。木陰でくつろぐ家族連れ、日没から午後十時まで続くライトアップに一息つく。少し暗いと感じると、気分転換を兼ねて対岸へ行き、照明を覆う枯れ葉やごみを取り除く。
三原さんは、もっと多くの人にポプラとかかわってもらいたいと思う。「自分だけ独り占めしているようで、もったいない。目と鼻の先の市民球場や本通り商店街へ人の流れができれば、新しい都心の楽しみも生まれるのではないですか」
2004.3.30
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