■施設と採算がハードル
江戸後期の文筆家頼山陽も、広島市の川を楽しんでいた。頼山陽史跡資料館(中区)の荒木清二主任学芸員(40)によると、山陽は、資料館の立つ袋町の居室から本川を舟で下って、川に面した江波(中区)の料理屋で白魚をさかなに一杯―としゃれていたらしい。
既得権で営業
広島の水辺の食文化といえば、かき船がある。平和記念公園に程近い元安川の平和大橋下流。右岸に「ひろしま」、左岸に「かなわ」が浮かぶ。「水面が近いので、親子ガモでも来ると、お客さんが大喜びです」とひろしまの松岡巧社長(31)は言う。
二つのかき船は、今の河川法ができる前からの既得権で営業している。現在は、漁協の同意を取った上で、国の許可を得て、広島県に川の占用料を支払う。この手続きを、毎年繰り返す。
潮風にさらされる傷み、調理や下水の排水処理と、維持管理費は地上の飲食店より割高となる。ひろしまは昨年、船の傾きを直すために川底を少し掘った。許可を得るのに一年近くかかり、作業は半日で終わった。
「何をするにも許可、許可。くじけそうになるけれど、『広島の文化のために頑張って』という声に励まされて踏ん張ってます。地元の人にもっと来てもらいたいのが本音」。松岡社長と店を切り盛りする母の加寿恵さん(56)が話してくれた。
二つの船にはエンジンがない。洪水時などには水の流れの妨げになり、橋や護岸にも悪影響があるとして、現行法では新たなかき船は認められない。最大瞬間風速五八・九メートルを記録した一九九一年の台風19号では、二つの船とも平和大橋の橋脚にぶつかって壊れた。
参入希望ゼロ
船に乗って、おいしい物を食べる機会を増やせないか。国は今回、河川や河川敷の民間使用についての規制緩和で、広島市の要望を受け入れ、船上レストランを認めた。しかし実現へのハードルは高い。
まず施設。船に安全に乗り降りできる桟橋は、中区のアステールプラザ裏と元安橋の二カ所だけしかない。
肝心な出店者となると、さらに心もとない。積極的な意思を示している事業者は現在ゼロ。市は、ノウハウを持つ事業者に打診するぐらいしか策がないのが実情だ。
海上レストランでは全国のさきがけである瀬戸内海汽船(南区)。クルーズ事業部執行責任者の内堀達也さん(43)によると、川のレストランは、調理場や客席の広さに限界があり、設備投資や運航費用から、採算はかなり厳しいとみる。
同社は、川で遊覧船を運航していた第三セクター「広島リバークルーズ」に参画して、頓挫した苦い経験を持つ。「財政的な支援の問題より、川を活用しようという熱気が地域全体になかったのが痛かった。風景は魅力なんですが…」。川のレストラン誕生には、まちの情熱が足りないのだろうか。
2004.4.1
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