特集 瀬戸内海国立公園指定(1934年3月16日) 70周年記念
「ふるさとの海」

 今は昔 海と人の物語

    ◇ 景観 ◇


暮らし生業

□

 瀬戸大橋

 本州四国連絡橋三ルートのうち、最初に開通した瀬戸大橋(児島―坂出ルート)。与島橋(下の写真手前)や岩黒島橋、櫃(ひつ)石島橋、下津井瀬戸大橋など六つの橋で本州と四国が地続きになった。

 上層に瀬戸中央自動車道、下層にJR瀬戸大橋線を通す長大橋梁(りょう)群で、「瀬戸大橋」の愛称で親しまれる。

「瀬戸大橋」現在

 下津井瀬戸大橋北側の鷲羽山トンネル(二百三十メートル)は、自動車道とJRの各上下線を通すため、内部が田の字型の「四つ目」構造になっている。

 当初計画では、山を切り崩して道路と線路を通す予定だったが、「国立公園の景観保全に配慮し、工法を変更した」と本州四国連絡橋公団。世界初の試みとして、日本が蓄積したトンネル技術の粋を集めて建設されたという。

「備前瀬戸」78年
倉敷市児島地区(写真手前)の上空から望む瀬戸大橋着工前の備前瀬戸(78年)。対岸の香川県坂出市番の州地区との間に櫃石島や岩黒島、与島がほぼ一直線に並ぶ。国立公園指定の原動力になった多島海域は、長大橋建設にも都合がよく、一部は橋脚の島になってしまった。

 広島湾
「広島湾」62年
「広島湾」現在

 高度約四千メートル上空から望む広島市のデルタと広島湾=左上の写真、62年。その後の高度成長期、工業化を目指して埋め立てが進み、短期間で現在の姿=左下下の写真=に変わった。

 同市西区の西部開発事業(写真右側)が六五年に始まった。市東部では、広島県が大規模な臨海工業地帯の整備に向け、五八年に宇品地区の埋め立て(写真左側)を開始、六三年に完了した。

 埋め立て地には、地元の東洋工業(現マツダ)が新工場を建設した。高級車「ルーチェ」、ロータリーエンジンを搭載した世界初の量産車「コスモスポーツ」などを生産。地域経済の発展に貢献した。

 七一年には中小企業用地として七十万平方メートルを埋め立てた出島地区(写真中央)が完成。今も出島沖の埋め立てが進む。

2004.3.16


海と人の物語TOP