特集 瀬戸内海国立公園指定(1934年3月16日) 70周年記念
「ふるさとの海」

 今は昔 海と人の物語

    ◇ 生業 ◇


景観暮らし

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 向島

 尾道市向東町の向島にあった塩田(54年)。島では、古墳時代から製塩が始まり、一六〇〇年代後半に塩田がつくられたと伝えられる。 「向島塩田」54年

 島は栄え、広大な塩田には塩を含んだ砂を集めた時にできる幾何学的な模様が広がっていた。しかし、一九五〇年代に入ると生産はコストの安い工場方式に徐々に移行。七〇年代にはすべての塩田が廃止された。

 塩田跡は今、宅地に。縦横に正確に走る道路が当時の面影をしのばせる。


 江波

 瀬戸内海でのノリ養殖は江戸時代に始まったとされ、手法は時代とともに変わってきた。広島市水産振興協会によると、広島県内では約三百年前から続く。

 同市中区の天満川河口付近=写真、58年=では、枝の数が多く、丈の長い竹を何本も干潟に立てて養殖していた。現在はノリ網を使い、人工的に種付けするのが一般的だが、当時はすべて自然任せ。竹を差し込んだり、手摘みしたりする手間が掛かる上、埋め立てや河川の護岸整備で干潟が減り、伝統的な風景は過去のものとなった。

「江波」58年

 岩国市沖
「岩国市沖」55年

 安芸灘での延縄(はえなわ)漁(55年、山口、広島県境付近)。岩国市沖では当時、アナゴやフグの延縄漁が盛んだった。長さ1000メートルの幹縄に、針を仕掛けた枝縄を約500本も付けていたという。

 「同じ漁場に多くの漁師が出ていた。他の船の縄と絡み、もめることもしばしばあった」と同市漁協(約700人)の沖井勝広組合長(63)。その後、漁船は手こぎから動力船になって大型化し、漁法もかごや底引きに変わっていった。

 「針で釣る方が魚が傷まず、価格も上」というが、手間が掛かるため、延縄漁を続けている漁業者は激減。延縄は瀬戸内海の漁業繁栄の象徴だったのかもしれない。

2004.3.16


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