豊島(てしま)(香川県土庄町)の丘陵地で放牧していた乳牛(55年)。戦後、牛乳が高値で取引されていたこともあり、乳牛を飼う農家が徐々に増加。六〇年代のピーク時には百五十戸が二百頭を飼育していたとされ、瀬戸内海随一の「乳の島」と呼ばれた。現在でも五戸が約百三十頭を飼育する。
戦後の食糧難が続く四七年、牛乳の供給が受けられる島内に乳児院「神愛館」が開設された。現在も、三歳までの十五人が暮らす。館長の木俣努さん(69)は「施設の子どもにとって島はまさに母代わり」。乳の島の伝統は今も受け継がれている。
その後、のどかだった島に産業廃棄物が不法に持ち込まれ、「ゴミの島」(98年)になってしまった。
産廃の不法投棄が始まったのは八三年ごろから。車の破砕くずや焼却灰などが積み重ねられ、近くの岩場やがけに黒い汚水が染み出し、汚染は海にも広がった。
産廃の総量は六十六万トンに達し、大きな社会問題に発展した。住民たちの地道な運動が実り、二〇〇三年から香川県による島外運出処理が始まったが、量があまりに膨大なため事業は十年間続く見通しだ。