|
|
展示会場の中央に陣取るエノラ・ゲイ
|
「とてもいい展示になった」。ジョン・コーレルさん(64)は、笑みを浮かべながら、展示会場の方を指さした。オープンしたばかりのスミソニアン航空宇宙博物館新館。指の先に、銀色の巨大な翼があった。
「過去のどんなこともエノラ・ゲイの素晴らしさを奪い去ることはできない。ここの飛行機はすべて、勇敢な英雄たちの思い出だ」
米国の空軍協会の機関誌エアフォースマガジンで一昨年まで十九年間、編集長を務めた。空軍協会は、退役軍人や現役将校ら約十四万人でつくる空軍の支援団体である。
コーレルさんは一九九四年四月、博物館がエノラ・ゲイの一部展示に合わせて計画した原爆展の内容を誌上で暴露。「米国人を人種差別と復しゅうに駆られた冷酷な侵略者に描いている」と書きたて、論争を巻き起こした。
結局、空軍協会をはじめ退役軍人や議員らの猛攻撃で、原爆展は事実上の中止。当時のマーティン・ハーウィット館長は辞任に追い込まれた。
原爆の被害をほとんど省いた展示は九五年から三年間続いた。「見学した約四百万人の大半が内容は公平だと思ったはずだ」と胸を張る。
今回も、当時の二の舞いを恐れた博物館は、犠牲者の数など原爆被害の説明を一切省いた。
「原爆の犠牲者数を説明に入れるのなら、日本帝国が戦時中に殺した人々の数も入れるべきだ。繰り返してはならないのはヒロシマ、ナガサキだけではない。南京大虐殺も満州(現中国東北部)への侵略も同じだ」と語気を強める。
同席した空軍協会の広報担当者ナポレオン・バイアーズさん(49)は「市民を殺す日本の軍部を倒さなければならなかった。敗戦のおかげで日本は自由と平和を手に入れただろ」と付け足した。
五十八年間変わらない米国の「正戦」の論理。ヒロシマが培ってきた、いかなる戦争も否定する反戦の誓いとは、真っ向からぶつかる。「展示の改善に向けて、話し合いのテーブルに着こう」。平和活動家たちの呼び掛けに、二人はそろって首を横に振る。
「抗議のため訪れた被爆者についてどう思いますか」。最後の質問を二人に投げ掛けた。「被爆者個人のことなのでコメントすべきではない」。「後ろ姿は見たが…」とあいまいな答え。二人が、自信にみなぎる視線を伏せた唯一の瞬間だった。
index | back | next |
|
中
|
|