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 野中 春樹(下)  自分の力 気づかせたい


住民集会の後、地域のリーダーたちと。左端が筆者(1982年、ブラジル・リオデジャネイロ州ノーヴァイグアス市)

のなか・はるき

1953年大阪市生まれ。幼少期から高校卒業まで呉市で過ごす。上智大文学部哲学科を卒業後、78年にブラジルに移住。神学を勉強し、リオデジャネイロ州やパラ州(アマゾン地域)でカトリック教会の司祭などとして働く。91年に帰国。広島なぎさ中学・高校で社会科の教員を務めている。「人間」「国際」「グローバル・ラーニング」「グローバル・シティズン」の授業などで、ワークショップや講演会を取り入れた参加体験型学習を行っている。

ぼくは1978年からブラジルとメキシコで、カトリック教会の神学生や司祭として働きました。


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ブラジルのリオデジャネイロ州に住んでいたときです。ある朝、近所の子どもたちが、「道路に死体があるから見に行こう」と言って、誘いいに来ました。ついて行くと路上に死体が横たわっていました。これだけでもショックだったのですが、子どもたちが死体の前で平然としているのを見て、さらに驚きました。

ここでは日常茶飯事の出来事だったのです。家族が殺されても犯人の復讐を恐れて、警察に届けない人もいます。ぼくもバスや喫茶店、路上で、何度か強盗にピストルを突きつけられ、金品を奪われました。住民はいつも命の危険にさらされながら生きていました。

アマゾン地域では、ジャングルの中に点在する教会や集会所を訪ねました。貧しい人たちが数十キロ離れた町まで、牛乳や木材を運搬するトラックの荷台に乗って行き来していました。雨期になると道路は水浸しです。普通の自動車は通行できなくなり、重い荷物を担いだり、病気の子どもを背負ったりして歩いている姿を目にしました。

貧困は深刻な問題でした。それを解決するため地域の教会や集会所で識字や裁縫の教室を開いたり、上下水道、電気、道路、学校、病院建設などについて話し合いました。

このような現実を前にして、自分がいかに無力であるかを痛感するようになりました。それでも、出会う人たちは「私たちを訪問してくれてありがとう。また来てね」と言います。最初は、何もできない自分への感謝の言葉が不思議でしたが、彼らはぼくと一緒にいることを喜んでいるのに気づきました。貧しい人たちは、生活は困難でも、仲間と協力して、困難を乗り越える力を持ってっています。ぼくにできることは、彼らと共にいることだったのです。


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91年に日本に帰国して広島なぎさ中・高で働くようになったとき、日本の子どもたちの生活は豊かだけど、どこか生き生きしていないところがあると感じました。本物の世界や自分らしい生き方に出会っていないと思いました。98年に始めた「サラワク・スタディーツアー」は、この問いに答える一つの方法でした。このツアーも今年で12回を迎えました。

8年前にツアーに参加した1人が大学卒業後、隠岐に移り住み、教育委員会のスタッフとして働いています。彼女は、地元の高校生が「観光甲子園」(全国の高校生が地域の観光プランを競うコンテスト)に出場するのを手伝いました。発言したり考えたりすることが苦手だった高校生が、大勢の前で堂々と発表するまでに成長し、「グランプリ」を獲得しました。彼女は「自分はだめだと思っている子に、君にもできるということを伝えたい。島を一度も出たことのない子に、自分の可能性に気づいてほしい」と語ります。

ぼくはブラジルに行く前はやる気が出ず、自分を表現できずに苦労しました。ブラジル人やメキシコ人の中で暮らすうちに、自分を縛っていたものから解放され、勉強や仕事に意欲が出るようになりました。本物の世界や自分に出会ってほしい。卒業生の中から同じ思いをもった人が育っているのは、大きな喜びです。ぼくに新たな活力を与えてくれています。


「gaga(ガガ)―しあわせ」 −広島なぎさ高校 サラワク・スタディーツアー

広島なぎさ高(広島市佐伯区)の2年生11人は今夏、マレーシア・サラワク州の熱帯雨林でホームステイをしました。帰国後、生徒は先住民族イバンの人々との共同生活を基に小説を書きました。幸せとは何かを問い掛けるストーリー。この本は孤独死やいじめ、ニートといった日本で起きている問題についても考えるきっかけを与えてくれます。
 
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