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■特集 南アフリカ編 核廃絶への歩み
周辺の安定 廃棄へ道筋 開発に参画のフルユン博士 '04/5/10

 私たちは核兵器開発に長年携わった国営兵器公社アムスコーのヨハン・フルユン博士(57)に、プレトリア郊外の職場で会った。物理学者の博士は淡々と自身の体験や思いを語った。

 核開発では主として、核爆発プロセスの研究に当たった。最初は科学者としての好奇心に突き動かされていた。自分が開発にかかわった核兵器が使用されるとは、一度も思ったことはない。あくまで「抑止力」だと考えていた。

 抑止力としての戦略は三段階に分かれていた。第一はイスラエルと同様、核保有を肯定も否定もせずあいまいにしておく。第二は周辺からの軍事的脅威にさらされた場合、米国など西側諸国にこっそり保有の事実を伝え、軍事介入を求める。それが駄目なら、最後は地下核実験を実施する。

 そのため核弾頭一個は常に地下核実験場に置き、いつでも実験できるようにしていた。

 核開発にかかわり始めた翌年の一九七七年、カラハリ砂漠の地下に実験坑二本を掘った。七四年にインドが地下核実験をしたが、大きな問題にならなかったので軽くみていた。しかし、実験坑が旧ソ連の衛星に発見されると、国際的な非難が巻き起こった。

 国連安保理による自国への武器禁輸決議によって、われわれはますます孤立感を深め、核抑止力への依存を強めた。核兵器を搭載する飛行機の開発も同時に手掛けた。

 経験的に言うと、核開発能力をすでに持っている国に対する制裁措置は、かえって開発を加速させる恐れがある。北朝鮮なども同じだ。南アは東西冷戦の終結に伴って、周辺国が安定して初めて廃棄に踏み切った。周辺地域の紛争や当事国の問題をまず解決することが核兵器廃棄への近道だろう。

 核兵器工場の閉鎖に伴って二百五十人が解雇された。研究チームは公社内でも特別扱いで、家族のようだった。当時は寂しさもあったが、今は核兵器を捨てたことを喜んでいる。同僚たちも同じ気持ちだと思う。

【写真説明】ヨハン・フルユン博士


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