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■特集 足跡と広がり
平和憲法を胸に発信を 明治学院大教授 浅井基文 '05/1/3

 広島国際文化財団主催の被爆六十周年プロジェクト「広島世界平和ミッション」は、「被爆者らを含む使節団を核保有国や潜在保有国、紛争地域などへ派遣し、核廃絶へのヒロシマの願いを伝えるとともに、対話を通じて信頼を醸成し、戦争や紛争防止に貢献したいという被爆地から世界へ向けたアクション」(二〇〇四年一月一日付中国新聞)である。

 その目的意識の高さ、規模の大きさ、訪問先の選択の的確さ、ミッション参加者の人選における多様さ、そして中国新聞に掲載されたこれまでの訪問記録を読むことによって私が味わった印象の深さのいずれからいっても、本当に意義の大きな、時宜を得た企画と実感する。

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 私は特に第一陣から第三陣までのメンバー座談会における参加者の発言の数々(六月五日、九月六日そして十月二十七日付中国新聞)に、このミッションのこれまでの成果と課題が凝縮されていると感じた。

 南アフリカ、イランを訪れた被爆者の寺本貴司さん(70)は、「広島にとって核兵器廃絶はもっとも重要な目標だが、貧困やエイズなどの厳しい現実を前に、世界には平和実現のために解決すべき問題がほかにもあることを痛感する。…原爆も毒ガス被害も、アパルトヘイトも、…根っこのところではつながっている」と述べた。

 訪問先での体験に裏づけられたこの発言は、被爆地・ヒロシマの世界へ向けた発信が普遍性と国際的説得力を持ちうるためのカギは、世界各地で引き起こされるさまざまな暴力による悲劇とヒロシマとの同根性を認識することにあることを喝破したもので、被爆者・寺本さんならではの重みがある。

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 同じミッションに参加した荊尾遥さん(22)も、「原爆の惨禍を一方的に訴えるだけでは、受け手は『ああそうですか』で終わってしまいがちだ。先方も私たちに知ってほしいことがある。互いの実情を学び合うインターアクション(相互作用)があると、きずなはさらに深まると感じた」という感想を述べている。

 第二陣のミッション(訪問先は中国と韓国)に参加した森上翔太さん(21)は、「自分たちが言いたい核の恐ろしさを一方的に訴えるのではなく、相手の文脈の中でどう伝えられるかを、しっかり考えたい」と振り返っている。

 また第三陣のミッション(訪問先は、フランス、英国、スペイン)に参加した山田裕基さん(27)は、「被爆地にいるとヒロシマの被害だけに目が向きがちだけれど、英国でホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の被害者から話を聞いたりして、平和や人権を脅かすさまざまな問題に視野を広げる重要さを学んだ」と言っている。

 三人の発言は、被爆地・ヒロシマの世界へ向けた発信が普遍性と国際的説得力を持つカギを確実に捉(とら)えている点で、寺本さんのそれと同じだと思う。私が特に心強く感じたのは、被爆者の寺本さんを除く他の三人が青年であることだ。

 同時に、ミッションの課題も浮かび上がっているように思う。第三陣ミッションに参加した花房加奈さん(19)が、「スペインの市民から、日本の自衛隊のイラク派遣問題などが出された。『被爆国で平和憲法をもつ日本政府や国民がなぜイラク戦争反対のイニシアチブを取らないのか』と問われ、日本人として恥ずかしく思った」と述べている点である。

 日本のイラクに対する自衛隊派遣という背景の下で、この平和ミッションが各国を訪れて、平和について交流することに伏在する問題を、花房さんの発言が客観的に示していると、私は感じる。

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 ミッションに伏在する問題については、韓国ミッションに参加した元韓国原爆被害者協会長の郭貴勲さん(80)の次の発言ほど的を射たものはない(九月六日付中国新聞)。

 「日本の近隣の国の人々は、日本が太平洋戦争中に犯した罪を心から謝っていないと思っています。それをしないで仲よくしましょうと日本が手を差し伸べても、人々がそっぽを向くのは当たり前であります。…そのような歴史の壁を乗り越えることができなかった。平和ミッションの限界でした」

 日本国内では、侵略戦争の過去を反省しようとしない人々によって、平和憲法を変えようとする動きが急ピッチで進んでいる。その現実を直視し、これとどう向き合うかを真剣に考えた上での平和ミッションであることが求められると思うのだ。

 ヒロシマからの発信が世界に説得力をもちうるのは、侵略戦争を反省し、戦争を放棄し、戦力不保持を国際社会に約束した平和憲法の裏づけがあってこそであることを、ヒロシマには片時も忘れてほしくないと心から願う。

 (郭貴勲さんは先月、会長に再任)

【写真説明】あさい・もとふみ 1941年愛知県生まれ。東京大中退後、63年に外務省に入省。中国課長などを歴任後、88年に東京大教養学部教授に就任。日本大を経て92年から現職。今年4月に広島市立大広島平和研究所長に就任予定。著書に「戦争する国しない国」など。東京都八王子市。


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