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■特集 ボスニア・ヘルツェゴビナ編 紛争を超えて
「民族浄化」から共生へ '05/2/7

 「モザイク国家」と呼ばれた多民族国家の旧ユーゴスラビア。その解体に伴い、一九九一年から翌年にかけ五カ国が相次いで独立した。その一つボスニアは九二年四月、支配地域拡大を競うムスリム、セルビア、クロアチアの主要三民族が三つどもえで戦う泥沼の紛争に突入した。大量虐殺、強制収容、組織的レイプ…。互いに他民族を根絶やしにしようとする「民族浄化」の嵐は、三年と八カ月間吹き荒れた。死者二十万人、難民は国民の半数に当たる二百万人余に達した。広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第四陣は昨年十月下旬から十一日間、ボスニア・ヘルツェゴビナを訪ね、欧州で第二次大戦後「最悪」と呼ばれたボスニア紛争の一端に触れた。傷跡とともに、民族が共生する「一つの国家」への復興の足取りを報告する。(文・岡田浩一 写真・野地俊治)

 ■ボスニア・ヘルツェゴビナの歩み

 6世紀     スラブ人が定住を始める

 14世紀     ボスニア王国を確立

 1463年    オスマン・トルコによって征服される

 1878年    オーストリア・ハンガリー帝国に占領される

 1908年    同帝国に併合される

   14年 6月 サラエボで同帝国皇太子夫妻をセルビア人青年が暗殺。第一次世界大戦の引き金となる

   19年 9月 オーストリアから分離。クロアチアなどとともにセルビア王国に組み入れられ、ユーゴ王国を建国

   45年 5月 ドイツから自力で解放してユーゴスラビア連邦人民共和国(旧ユーゴ)を建国

   63年    ユーゴスラビア社会主義連邦共和国へ

   92年 3月 旧ユーゴからの独立を宣言

    同 4月 セルビア人勢力がサラエボを包囲

    同 6月 国連防護軍が派遣され、サラエボに初の援助物資が届く

   93年 4月 反セルビア軍事同盟を結んでいたムスリム、クロアチアの両陣営が戦闘状態に突入。

   94年 4月 北大西洋条約機構(NATO)がセルビア人勢力に限定的空爆を開始

    同12月 カーター元米大統領が国連特使としてボスニアを訪問

   95年 1月 4カ月の停戦発効

    同 5月 停戦期限切れとなり、戦闘再開

    同 7月 男性8000人がセルビア人勢力に連れ去られて行方不明になる「スレブレニツァの大虐殺」が起こる

    同 8月 NATOが大規模な空爆を実施

    同11月 米オハイオ州デイトンで、主要3民族の首脳が包括和平案に合意して仮調印

    同12月 フランス・パリで包括和平協定に調印

   96年 3月 セルビア人勢力がサラエボ包囲を完全に解く

    同 5月 オランダ・ハーグで旧ユーゴ戦争犯罪国際法廷開始、現在も継続中


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