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■特集 インド編 核の現状と展望
「大国」願望 見え隠れ '05/3/16

 インドは核拡散防止条約(NPT)が定める枠外の「事実上の核保有国」である。パキスタンとともにNPTの不平等性を訴え、その枠組みに挑んでいる。広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第五陣メンバー五人は、一月二十四日から十二日間のインド滞在中、行く先々で市民や核問題の専門家らとこの国の核保有について意見を交わした。世界の核兵器廃絶には賛成しながら、自国の保有を認める声も根強くあった。そこには核兵器を「大国の地位を証す道具」とみなす意識も見え隠れした。専門家へのインタビューなどを交えながら、インドの核の現状と展望を紹介する。(文・森田裕美 写真・山本誉)

 ■インドの核開発年表

 1945年 8月 広島・長崎に原爆投下

      12月 ホミ・バーバ博士らの働きかけで民間機関「タタ基礎研究所」が設立され、原子力開発研究が始まる

   46年    マハトマ・ガンジーが自ら発行の雑誌「ハリジャン」で、原爆投下非難の論文を発表

   47年 6月 原子力庁創設(後の原子力省)

       8月 英国植民地下のインドからパキスタンが14日に分離独立。15日にはインドも。ジャム・カシミール地方も一国家として独立

      10月 ジャム・カシミールをめぐり第一次印パ戦争起きる

   48年 4月 原子力法が国会で可決され、8月に原子力委員会が発足。委員長にバーバ博士就任

   49年 7月 印パ両国が停戦ラインに合意(カラチ合意)。双方とも軍隊撤退を拒否

   50年 1月 インドが非宗教に基づく共和国憲法採択

   54年 1月 原子力委員会がトロンベイに原子力研究施設(AEET)を設立。タタ基礎研究所の原子力部門を独立、発展させたもの

   56年 8月 トロンベイのAEETに建設したインド初の研究用原子炉が運転開始

   62年 9月 中印戦争起きる

   64年    トロンベイの核燃料再処理施設運転開始。翌65年にプルトニウムの抽出に成功▽中国が初の核実験をしたのに関連し、バーバ博士が「インドも1年半以内に原爆製造は可能」と言明

   65年 9月 第二次印パ戦争起きる

   66年 1月 バーバ博士が飛行機事故で死亡

   67年 1月 AEETが「バーバ原子力研究センター(BARC)」に名称変更

   69年10月 米国の技術援助による国内初のタラプール原発1、2号機が運転開始

   70年 3月 核拡散防止条約(NPT)発効▽インドの科学者、経済学者、国防専門家グループが政府に核兵器の生産勧告

   71年12月 第三次印パ戦争起きる。東パキスタンがバングラデシュとして独立

   72年 7月 印パ両国が71年12月時点の停戦ラインを「LINE OF CONTROL(実効支配線)」として合意(シムラ合意)。現在の暫定国境

   74年 5月 インドが「平和目的」として初の地下核実験を実施

   77年 6月 インドのデサイ首相が「すべての核実験を行わない」と言明

   95年    NPT再検討会議で、NPT体制の無期限延長決まる。インド政府は「核のアパルトヘイトだ」として非難

   98年 5月 インドが地下核実験。続いてパキスタンも

   99年 2月 パキスタンとの紛争予防に向け、信頼醸成などを盛り込んだ両国首脳による「ラホール宣言」を発表

       7月 実効支配線を越えたパキスタン軍とみられる武装勢力とインド軍との戦闘起きる(カルギル紛争)

 2001年12月 イスラム過激派がインド国会を襲撃。カシミールの緊張高まる

   02年 5月 カシミールの実効支配線付近での戦闘激化。印パ両国の軍事衝突の可能性も

   04年 1月 印パが旅客機の相互乗り入れ再開

   04年 5月 インド国民会議派を中心とした新政権誕生

      11月 インドがカシミールの兵力撤退開始

   05年 2月 印パ両政府が、4月7日からカシミールの実効支配線を越える直通バスの運行で合意


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