写真…黒焦げの姿は「651」だった
原爆資料館(広島市中区)が四日発表した原爆投下後に撮影された被爆電車は、路面電車「651」であることを五日、広島電鉄(同区)が確認した。修理を重ね、現在も市内を走り続けている。
重ねた修理 原形残す
651は一両編成の650型の一号車。広島電鉄が保存している当時の電車運行図などによると、五十九年前の八月六日、中国配電(中区小町、現在の中国電力)から市役所(中区国泰寺町)付近を走行中に被爆した。損害状況は半壊を示す「半」と記されている。
写真は原爆投下から三日後、中国配電付近から南に向けて撮影された。車両が黒く焼け焦げ、窓は全壊し軌道から外れている様子が写っている。
当時、同社が所有していた計百二十三両のうち、百八両が原爆の被害を受けた。翌一九四六年三月から運転を再開した651をはじめ、650型の四両だけが原形をとどめ、走り続けている。
同社に残る社員の回顧録によると、補修作業は困難を極め、被害を受けて走れなくなった車両から部品を集めて修理。路線の補修にも奔走した。「人的にも物的にも、ないないづくしだった」と記されている。
651の被爆写真が見つかったことで、同社は「先輩たちの努力で動かした電車。その思いを受け継ぎたい」と気持ちを新たにしている。
【写真説明】黒く焼けた車体が原爆投下3日後の写真に写り、現在も走り続ける被爆電車「651」(広島市中区の広島電鉄車庫)
    
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