平和記念公園(広島市中区)にある原爆慰霊碑の碑文が傷つけられた。過去にもドロ絵の具(一九六五年二月)や、ペンキがかけられた(二〇〇二年三月)ことがあった。今回は悪質さがさらにエスカレートし、碑そのものがハンマーやのみで損壊された。
ヒロシマは今年、節目の被爆六十年。間もなく訪れる「八月六日」を前に、多くの被爆者は静かな祈りの日々のただ中にある。そんな中でも核兵器の廃絶を世界に訴える慰霊碑は最も象徴的な平和施設。碑の内部にある石室には二十三万七千六十二人(〇五年五月現在)もの名前が書かれた八十三冊の原爆死没者名簿が納められている。
碑を傷つけることは、被爆者の心をいたぶり、切り刻むことである。抑えようのない憤りと深い悲しみを覚える。
広島市安佐南区に住む二十七歳の無職の男の犯行で、政治結社の構成員だという。メディアの注目度の高いこの時期の愚行。自分たちの考えや存在感を知らしめようと狙ったと考えられる。
よく知られるように碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰(くり)返しませぬから」と刻んである。
男はこのうち「過ちは」の部分を集中的に傷つけていた。大きいもので横二・五センチ、縦一・五センチ。全部で十数カ所に及び損傷が激しい。過ちを犯したのはアメリカ、だからこの文字は気にくわない、などと供述しているらしい。
碑文は故雑賀忠義広島大教授が考案、故浜井信三広島市長が決めた。そこには、原爆犠牲者に対して核兵器廃絶を誓うのは全世界の人々でなくてはならない―という強い思いがあったとされる。
ところが碑建立の一九五二年当時から「主語があいまい」などと論争を呼んだ。原爆死没者、日本人、米国人、人類全体などさまざまな解釈が可能だったためである。雑賀教授は英訳化にあたって主語を「われわれ」を示す「We」とし、広島市も八三年に碑文の主語は「すべての人々」と解説した説明板を慰霊碑の近くに置いた。今では当初の奥深い思想が多くの人に支持され、定着している。
かつての論争を引っ張り出し、蒸し返すための犯行なのだろう。だが碑文を反米の道具として利用しようとしても、被爆者はもとより誰の共感も呼ぶことはないはずだ。
しかし昨今の右傾化のうねり。勇ましく、単純明快な掛け声が幅を利かし、ナショナリズムを刺激する。世界で核の拡散が現実化する一方で「八月六日」も「碑文」も知らない若者や子どもたちが増えている。碑文の損壊に限らず愚行が繰り返される恐れも十分ある。
われわれに今、求められているのは碑文をあらためて読み込み、中を貫く思想を自分のものにすることだろう。つまり愚行を逆手に取って、碑文を学び直し、一人でも多くの人に伝える大切さを再確認することである。その大きな契機にしたい。
碑文の本格的な修復は平和式典には間に合いそうもない。応急処置の痛々しさが、核をめぐるさまざまな問題の危うさを訴えるはずだ。
    
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