社説・天風録
(社説)平和運動 多彩な発信を続けよう '05/8/3

 被爆六十年の今年、世界のさまざまな人々に「平和と和解」のヒロシマのメッセージを伝える「広島世界平和ミッション」が繰り広げられた。被爆者や若者ら二十九人が参加した一年半に及ぶプロジェクトで、核保有国など十三カ国を訪問し、核兵器の廃絶を訴えた。対話を大切にした活動の波紋は今も続く。

 核戦争を防ぐため、被爆体験を基に核軍縮を訴える取り組みは、原水禁、原水協などの組織を主体にした運動として、半世紀にわたって続けられている。今年も広島市で世界大会がきのうから始まった。こうした運動とは別に、最近は国内外のボランティアによる、個人参加の多彩な活動が目立つようになり、大きく様変わりしてきた。ヒロシマは、多様な人々の発信のよりどころとして、一層大きな役割を求められている。

 一九五四年、第五福竜丸が太平洋ビキニ環礁で米国の水爆実験の死の灰をかぶった。東京杉並区の主婦たちが危機感を抱き、核実験禁止を求めて署名運動を起こした。それが被爆地のノーモア・ヒロシマなどの叫びと結合してスタートしたのが原水禁運動だった。だが、政党のイデオロギーが前面に出て運動が分裂。いつしか、被爆者や素朴な市民の思いから遊離していった面は否めない。

 とりわけ大きな課題は、政治に無関心とされる若者にどうアピールするかだ。中国新聞の被爆六十年アンケートでは「六十年も昔のことで、ひとごととしか思えない」という高校生もあり、「戦争中で原爆投下はやむを得なかった」などの容認に近い若者の回答が25%に上る。だが、既成の運動とは別に、国際交流などのボランティア活動では、若者の姿も目立ち、まだ救いはある。

 二年前、こうした変化の芽が形になった。9・11の米中枢同時テロの後、「大量破壊兵器の存在」を名目にブッシュ政権がイラク戦争に踏み切り、核戦争の危機が現実感をもって迫った。その時、被爆地広島に全国から若者らが集まった。六千人の「NO WAR(戦争) NO DU(劣化ウラン弾)」の人文字ができ上がった。その後も、キャンドルの火文字などの取り組みが続いた。参加しやすい場さえあれば、動きは出てくるのだ。

 米国で原爆映画上映などを約一年行うネバーアゲイン・キャンペーン(NAC)の第九期平和大使にも、広島から二人の若者が参加し、来年初め渡米する予定だ。だが、米国のボランティアと兵庫県の女性が協力して二十年続く運動は今、大きな壁に突き当たっている。テロ厳戒下の米国では、反戦など口にできないようなムードが漂っているからだ。

 第八期の大使たちはそれでも渡米した。だが、九期の今年は短期ビザを取るのさえ容易でない。こうした困難を打ち破るには、幅広い連携や国際的な支援が欠かせない。

 原爆劇の上演、核実験場のあったカザフスタンのセミパラチンスクとの交流、原爆文学の朗読など、さまざまな活動に高校生たちの姿が見られる。イベントだけでなく、日常的で地道な取り組みは心強い限りだ。

 「原爆を投下した米国に憎しみはないのか」。被爆者たちに、海外の多くの国の人々が抱く疑問である。平和ミッションでも同じ問いが投げかけられた。

 地獄のような惨禍を体験しながら、被爆者らは「対話と和解」による平和の願いへ昇華させてきた。中東など世界各地で今、憎しみとテロの連鎖が続く。「被爆者の思いを、テロ行為に誘惑されやすい若者に聞かせたい」というパグウォッシュ会議参加者の声には励まされる。


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