記憶せよ 抗議せよ そして生きのびよ 「抗議せよ、そして生きのびよ」は英国の反核運動家で物理学者の名言。それに私は「記憶せよ」という句をつけ加えました―▲作家の井上ひさしさんは二〇〇〇年八月三日、原爆資料館の記名帳にこう記した。初めて執筆した原爆劇「父と暮せば」の初演は一九九四年にさかのぼる。先日、広島で講演し「被爆体験のない自分が広島について書いていいのか自問し、悩んだ」と執筆当時の思いを語っている▲「父と暮せば」は、被爆死した父親が幽霊となって現れ、生き残ったことに負い目を感じる娘を励ます物語。記名帳の言葉のように、未来に目を向けた井上さんの思いが込められている▲昨年は、宮沢りえさん主演で映画化もされて話題をよんだ。先月末、映画を見て広島弁で語る宮沢さんのひと言が胸に突き刺さった。「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」。その時、浮かんだのが呉市神原町の歌人、梶山雅子さん(72)の短歌である▲「あなたは生きていたのですか どうしても行くとあの子は逝ったのです」。広島第一県女(現皆実高校)の一年生だったあの日、級友たちは建物疎開の作業中に全員被爆死。級友の母親に会い、生き残ったつらさを詠んだ歌だ▲梶山さんは十年前から語り部として県女の慰霊碑の前に立つようになった。「父と暮せば」は全国各地で自主上映会の輪が広がる。次世代にどう語り伝えていくか。あす被爆六十年の8・6。
    
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