広島がヒロシマであり続けている―。人類は核兵器をなくせないままだ。三たび使われる懸念さえある。一方で、原爆の惨状を知る被爆者は老いた。強い憤りと深い焦燥の中で、被爆六十年の節目を迎えた。
だが、失望はすまい。核の時代に、原点から楔(くさび)を打ち続ける責務が被爆地にはある。鎮魂と哀悼の中で惨禍の記憶を共有し、核の脅威がない明日をつくる新たな「出発の日」にしよう。
今こそ継承の時
ヒロシマは、原爆がもたらす「人間の悲惨」を問い続けてきた。原爆は無差別に市民を殺傷し、人間の尊厳をも奪った。被爆者は今も放射能の後遺症におびえる。その非人道性と残虐さゆえに、核兵器の廃絶を訴えてきた。
生き証人として、被爆者は病苦や差別を振り切って、「あの日」を語ってきた。逆に、過酷な人生や生き残った負い目を語り切れず、黙する被爆者もなお多い。しかし、被爆者の平均年齢は七三・〇九歳。直接、証言を聞けなくなる日が切実感をもって迫る。
体験は原点であり続ける。時の経過とともに、重みは増す。ぜひ語ってほしい。まず子や孫に。人間の強さや弱さも含め、命の大切さを言葉に残してほしい。今をおいてない。その証言が人類の共通体験になるのだから。
若い世代も、被爆者と向き合ってほしい。地獄絵を受け止め切れない戸惑いもあろう。だが、自ら「聞き」「問う」ことで、生きる意味や自分たちの行動を考えていく。そうした場をもっと増やしたい。世代を超えて、記憶を継承する真(しん)摯(し)な対話こそ大事だ。
人類は、米ソ冷戦の終結を核軍縮の潮流に結びつけることができなかった。三万発残る核弾頭は、国際社会に脅威をもたらし続ける。そのうえ、この十年間で核保有国は増え、テロリストに核兵器が渡る危険も強まった。
東西陣営の枠内で一定に核管理できた時代と違い、いつ、どこで核が使われるかもしれない「歯止めなき時代」の不気味さが募る。世界が無関心であるほど核拡散が進むことに気付こう。
大国独走が障壁
核拡散防止条約(NPT)再検討会議は成果なく決裂した。痛恨の極みだ。とりわけ核超大国の米国は核軍縮に背を向けて、他国には不拡散を迫る。非保有国が反発する理由だ。米中枢同時テロを境に、使える小型核開発に傾く米国の独走を止めたい。核使用の垣根を低くしないためにも、唯一の被爆国日本の役割は重大だ。
NPT体制の両輪は軍縮と不拡散である。まずは核保有国が軍縮の道筋をはっきり示すことが前提だろう。疑惑国やテロリストの核武装を防ぐ核物質の国際管理も強めたい。核実験や物質製造の禁止を含む軍縮の枠組み進展に、各国が今以上の英知を集めよう。
今、ヒロシマは悩む。米国の「核の傘」の下で核廃絶を訴えるジレンマである。廃絶の主張が説得力を持ちにくい。核に頼らない安全保障の方向を探ろう。北東アジアを含めた非核地帯をどう広げるか。近隣諸国とどう信頼関係を重ねるか。その努力を政府に迫ることも、被爆地に求められている。
核兵器は存在する限り、使われる可能性が残る。しかし、使われた時の悲惨はヒロシマ、ナガサキが体験した。核戦争に勝者はない。核に依存するのはやめよう。人類は今こそ、地域や国家対立の枠を超えることに全力を傾けたい。被爆地は非政府組織や非核を求める都市との連携を重ね、保有国などに核廃棄を迫る大波をつくろう。
日米軍事同盟が強まる中で、海外からは日本の軍事大国化が懸念されている。さらに、核燃料再処理の仕組みが進めば、核物質を使って日本が核武装するのでは、との厳しい見方さえある。国是である「非核三原則」に揺らぎがあってはならない。政府は原則の堅持をあらためて明確にし、非核の道に外れないことを世界に示す必要がある。被爆国の必須の責任だ。
憲法の理念大切
われわれは、先の大戦を無謀にも始め、原爆という未曾有の犠牲の上に平和憲法を持った。今、改憲論が声高だ。でも、被爆体験が人類の「不戦の誓い」につながるためにも、ヒロシマは戦争放棄と武力行使を否定した平和憲法の理念を大切にしたい。
ヒロシマは時に、被爆体験だけを歴史から抜き出した、と指摘されることがある。過酷な惨状から、被害を中心に訴えざるを得なかった面がある。ただ、日本の戦争責任やアジア諸国への加害の視点が十分にとらえ切れなかった点も否めない。あらためて原爆の惨禍を歴史の流れに戻し、世界の戦争被害者や被(ひ)曝(ばく)者とも連帯しなければ、反戦、反核の運動は広がりを持たない。
広島は国内外の支援で壊滅から立ち直った。世界の紛争地にとって、復興への勇気をくれる「希望の都市」であり続けたい。被爆地の医療、復興支援事業を軌道に乗せるとともに、紛争や貧困の現状にも目を向けよう。貧富の格差が紛争を誘い、兵器や核保有に結びつく下地をなくさねばならない。
「記憶は過去と未来の接点」―。これは被爆五十年の平和宣言の一節だ。ヒロシマは単なる過去の歴史ではない。世界が直面する今の危機なのだ。あの惨禍を未来に訴えることこそ、被爆地ヒロシマの使命である。六十年のこの日、その思いを新たにする。
    
|