撤回しても多くの国民の憤りは消えまい。久間章生防衛相の発言である。先の大戦で米国が広島、長崎に原爆を投下したことに触れ「しょうがないなと思っている」などと述べた。
核兵器使用を容認し、被爆者の心を踏みにじる内容である。被爆者や平和団体はじめ、各方面から閣僚としての資質を疑う声が相次いでいるのも当然といえよう。
きのう朝まで発言の撤回や訂正の意思はないと強調していたが、昼になって陳謝し、事実上撤回した。自民、公明両党の幹部からも批判の声が上がり、参院選への影響を懸念する首相官邸にも配慮したようだ。しかし後から釈明して済むような問題ではない。
核兵器廃絶は、世界唯一の被爆国である日本の使命である。その政府の閣僚で、ましてや国民を守るのが任務の防衛相である。そうした自覚は果たしてあるのか。
防衛省スタートから半年。初代の大臣がこれでは自衛隊のシビリアンコントロールはとてもおぼつかない。
原爆投下が大戦の終結を早めるためだったとの弁明は米国側がよく口にする。しかし原爆は、わずか二度の爆発で二十万人を超える命を奪い、生き残った人々を今もなお苦しめ続ける絶対悪の兵器である。理由がどうであれ使われてはならない。
被爆者たちが思い出すのもつらい体験を語り続けるのも、こうした願いからだ。長崎県内を選挙区とする久間防衛相にも、届いていないはずはない。
久間防衛相は在日米軍の再編を推し進める日本側の責任者の一人でもある。先に成立した米軍再編推進法に、反対派封じ込めの意図を感じ疑問視する声は多い。さらに米国の主張を代弁するまで一体化するとはいかがなものか。
きのうの党首討論で安倍晋三首相は、発言が不適切との認識を示した。一方で「これからも防衛相として核廃絶に力を発揮してもらわなければならない」として、罷免要求には応じなかった。しかし昨年秋に党幹部らが核保有の論議を訴えたのに続く今回の発言である。安倍政権の本音と考えるのは、うがち過ぎだろうか。
「人間は、いったい何をしているのか」。凶弾に倒れた長崎市の伊藤一長前市長は昨年八月九日の平和宣言で、核拡散に向かっている世界に対する怒りといら立ちをこう表現した。いま一度、安倍政権と久間防衛相にぶつけたい。
    
|