原爆の惨禍から広島市が立ち上がる支えとなった国の特別法がある。「広島平和記念都市建設法」。この6日で、公布・施行から60年になる。
被爆地の都市像を「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴」と位置付けた法律だ。市が「平和都市」を掲げる根拠でもある。ただ、今では知らない市民も多かろう。制定の背景や都市の再生に果たした役割を問い直し、法の原点に立ち返ってみたい。
一つの自治体の復興に政府が特別な財政援助をしたり、国有地を無償譲渡したりする。そんな法律は1949年5月に可決された。そのころの市財政は極度に悪化していた。国に支援の陳情を繰り返す中で、特別法のアイデアが生まれたという。
主要都市はどこも戦災に遭っていた。優遇されたのは被害の大きさもさることながら、復興への熱い思いがあったからだろう。憲法の規定に基づく7月の住民投票でも91%が賛成した。
法の恩恵は多岐にわたった。平和関連施設には3分の2の国庫補助が認められた。平和記念公園や原爆資料館といった被爆地の「顔」は、これなしでできなかったといえる。さらに平和大通りの整備に区画整理…。34ヘクタールもの旧軍用地なども無償で市に譲られ、病院や学校などが建つ。
ただ特別な助成があったのは60年代まで。9年前、被爆建物の旧日本銀行広島支店が市に無償で貸し出されてからは、適用された例はない。
しかし格調高い理念を掲げるこの法律を、空文化させてはなるまい。法の趣旨を将来に向けて生かしていく方法を考えたい。
例えば、使い方をめぐって議論が続く旧広島市民球場の跡地である。新たな平和発信の場づくりに法を活用する道はないだろうか。国との議論の余地はあるはずだ。
平和記念公園周辺のまちづくりも、あらためて法の精神に沿って取り組みたい。
13年前に世界遺産となった原爆ドームの周りでは市の景観対策が後手に回った。すぐ近くに高層マンションができ、ようやく高さ制限に乗りだしたものの住民の反発を招いている。
平和都市として、かつての復興支援へ「恩返し」する視点も必要だろう。
広島を訪れた人は今のようなにぎわいをどう取り戻したのか、知りたがる人たちは多い。戦災や自然災害からの復興に道筋をつける参考にならないか。
国連訓練調査研究所広島事務所では、戦争で国土が荒廃したアフガニスタンの研修生に平和都市法を、国による復興支援のモデルとして教えているという。
ただ今は海外に発信できるまとまった展示も資料も少ない。この夏、市はパネル展やイベントなどを展開しているが十分といえまい。改装予定の原爆資料館を活用する方法もあろう。忘れられかけた法に光を当て、国内外に伝える努力は欠かせない。
    
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