「原爆の日」までに解決策を打ち出す―。政府自ら約束した期限が迫るが、大枠さえ定まっていない。被爆者や遺族が全国各地で起こした原爆症認定を求める集団訴訟である。抜本的な対策を先延ばししている間に、一連の訴訟での国の連敗は、おとといの熊本地裁判決で19にまで伸びた。
原告団と弁護団はきのう事態打開への提案を政府に示した。対応次第では水面下で続けてきた交渉を打ち切る可能性もあるという。しびれを切らしたのだろう。これ以上待たせるわけにはいくまい。
提案の柱は、新たな基準でも認定されていない原告をどう救済するかである。勝訴した人については、全員の認定を求めている。司法判断が出た以上、受け入れるのが筋だろう。となると、地裁判決がまだ出ていない人と、敗訴した人をどう扱うかが焦点となる。
判決の出ていない人については司法判断を参考にして可能な限り認定することが望ましい。早期解決にもつながる。漏れた場合に限って、一審の判断を仰げばいいのではないか。
問題は、敗訴した人をどう救済するかである。認定するのは法的には難しい。そこで、議員立法による基金で対応する―という薬害肝炎訴訟で使われた手法も、与党内では出ているようだ。何とか救済の仕組みを設けられないか。
被爆者だけを厚遇している、との疑問を持つ人がいるかもしれない。果たしてきた役割に報いるためと考えてはどうだろう。
原爆が人類にどんな惨禍をもたらすか、被爆者は、身をもって訴えてきた。核兵器廃絶をアピールして、世界の平和や安定に貢献してきたといえる。
こうした視点から、被爆者援護法が制定された。国の責任で保健や医療、福祉にわたって総合的な被爆者対策を講じる、と前文でうたっている。
ただ援護が十分だったと言い難い。原爆症に限っても、認定されるのは長年、被爆者全体の1%に満たなかった。「ふるい落とす」審査だったからだ。
司法判断の積み重ねが状況を変えてきた。認定基準を機械的に当てはめてはいけない。放射性物質が体内で細胞を傷つける内部被曝(ひばく)や、残留放射線を過小評価している。関連が否定できないなら認めるべきだ。こうしたメッセージを司法は発してきた。
政府も昨年春、ようやく基準を大幅に改定した。以来、認定者は前年度の20倍以上に増えた。それでも「不十分」との司法判断が相次ぐ。「積極認定」の対象疾病を増やしたが、司法判断の枠はもっと広い。さらなる見直しを原告団らが求めるのも当然だろう。
これまでのように小手先の対応を繰り返すのか、政府の姿勢が問われている。ただ解決への道は、政治決断でしか切り開けまい。集団訴訟に加わった被爆者約300人のうち、2割以上は既に亡くなった。被爆者に残された時間は限られていることを、あらためて思い起こす必要がある。
    
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