原爆投下直後、広島に降ったのが放射性物質を含む「黒い雨」だ。あの日から65年。遅すぎる感はあるにせよ、ようやく解明が進んできた。広島市や広島大などの研究者が新たな手法で積極的に調査をやり直した成果といえる。
推定された雨域は広島市域の大半のほか、廿日市市や安芸高田市など周辺の7市町にもまたがっているという。国が「大雨地域」と認めて無料健診などの対象とする区域より6倍も広い。
広島県と各市町は先月、区域の拡大を国に要望した。救済策から漏れる住民は高齢化している。速やかな見直しにつなげたい。
国の線引きは大ざっぱと言わざるを得ない。終戦直後、気象台員が100人余りの住民に聞き取った調査にもっぱら基づいているからだ。当時「ここが大雨だった」と見立てて地図に書き込んだ楕円(だえん)形をそのまま、現在の健診区域として使っている。
がんなどが見つかれば被爆者手帳が交付され、健康管理手当も出る。だが同じように雨を浴びたのに、道を隔てると何の救済もないケースがある。制度ができて34年、区域外の住民たちが拡大を求め続けてきたのも当然である。
国は「新たな証拠がない」と門前払いしてきた。だが、ここにきて「証拠」が次々出ている。
第一に雨域である。市がおととし実施した大規模アンケートで、黒い雨が降った場所と時間について1500人余りの証言が集まった。統計学的な分析によって、範囲の広がりとともに健康不安が残る現状が浮き彫りになった。
さらに、きのこ雲の写真を解析した研究者は、従来の説の2倍の高さと推定した。それだけ雨を地表に降らせた面積も拡大する。
健診区域外にあり、戦後の核実験の影響を受けない民家2棟の床下からは、放射性物質セシウム137も検出された。原爆がもたらした動かぬ物証だろう。
今を逃せば、もう実態は分からなくなる。そんな危機感を背景にした市と研究グループの連携が実を結んだといえる。
長妻昭厚生労働相は3月、専門家の分析を踏まえた上で対応を検討すると表明している。ずるずる時間を費やすのはどうか。見直しという方向性はすぐにでも打ち出すべきである。
救済範囲を広げるには、解決しなくてはならない課題は多い。財源の問題もある。対象人数をどのくらい見込むのかなど、地元自治体も早急に考える必要があろう。
新しい雨域もやはり推定という限界がある。市は2年かけて黒い雨のシミュレーションにも取り組むという。国とも協力し、調査を粘り強く続けてもらいたい。
黒い雨の人体への影響はまだ分からないことも多い。最大で爆心地から2・1キロの被曝(ひばく)線量に相当するとの試算も明らかになった。
核兵器の使用で何が起きるか検証することは、被爆国と被爆地の責務でもあろう。救済の輪を広げるとともに、実態に迫る努力を惜しんではなるまい。
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