被爆地広島で、核兵器ゼロの日まで燃え続けるのが「平和の灯(ともしび)」である。平和記念式典に参列した国連の潘基文(バンキムン)事務総長は「被爆者の方々が生きている間に、ともに広島の炎を消そう」とあいさつした。うなずき、勇気をもらった人も多いのではないか。
被爆65年の8・6は、国内外のメディアの注目を集めた。国連トップに加え、原爆を落とした米国や核を持つ英仏の代表が初めて黙とうの輪に入ったからだ。
参列した海外代表は、過去最多の74カ国に上る。核軍縮の流れが確かなものになる中で、ヒロシマの訴えがようやく世界と深く結びついてきたように思える。
とりわけ心強いのが「世界の安全のためには核兵器廃絶しかない」とする潘事務総長の熱意だ。
記念講演では、平和市長会議が目標とする「2020年までの廃絶」に賛同。かねての持論である核兵器禁止条約の交渉へ向け、国連で議論を進める姿勢を示した。
さらに被爆者の証言をできるだけ多くの言語に翻訳し、全人類に残す決意も表明した。これからの10年への期待も膨らんでくる。
一方、もう一人の「主役」のルース米駐日大使は自らは口を開かず広島を後にした。参列をよしとしない米国内の声にも配慮したのかもしれない。その点は残念だが、被爆地から世界へ、これまでにも増して強いメッセージが発信されたのは間違いあるまい。
国際社会に行動を促すとき、問われるのは自国の姿勢だ。秋葉忠利広島市長が平和宣言で日本政府に注文を付けたのは当然である。
非核三原則の法制化や、米国の「核の傘」からの離脱を求めた。日本が禁止条約の音頭を取ることも提案している。秋葉市長の平和宣言は従来、どちらかというと理念が前に出ていただけに、一歩踏み込んだといえる。
政権交代した政府の姿勢はどうか。菅直人首相は式典で非核三原則の堅持を表明し、核兵器の悲惨さを海外に伝える「非核特使」のアイデアを打ち出した。これまで被爆者らが地道に続けてきた取り組みを国が後押しするようだ。そこは評価できよう。
首相は、日本が先頭に立って行動するのは「道義的責任」とも述べた。ただ核保有国の首脳に働きかけたい、とするのは「核軍縮と核不拡散」にとどまる。禁止条約については触れなかった。
記者会見では「核抑止力は必要」とも明言した。国際情勢や米国への気遣いがあるにしても、被爆者の思いとは相いれまい。道義的責任というなら、まず「傘」に頼らない覚悟と外交戦略が求められるのではないか。
核軍縮の機運は高まっているとはいえ、いつまでにどう減らすかのプロセスは不透明である。肝心の被爆国の政府が及び腰のようでは到底前には進むまい。
「10年後の廃絶」を実現するためにも被爆地から国内世論を高め、政府の背中を押すべきだ。核なき世界への決意を新たにした潘事務総長の行動に応えたい。
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