「姉ちゃんは骨だけになって死んだ/死ぬ時/『ピカドンを忘れんさんな』といった」。被爆から7年後、峠三吉と山代巴が編んだ詩集「原子雲の下より」に、「姉ちゃん」と題した詩がある▲当時、中学1年だった池田博彰さんが書いた。大好きだったお姉ちゃんが「大きらいな戦争でおばけみたいになった」。あまたの未来を切り裂いた1発の原爆。広島弁を声に出してみる。優しい響きに込められた無念さが迫ってくるようだ▲きのう74カ国の海外代表も参列した広島市の平和記念式典。秋葉忠利市長の平和宣言は広島弁から始まった。「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」。被爆者の思いはええがいに伝わったと信じよう▲国連事務総長として初めて参列した潘基文氏は、英語のあいさつに「私は平和のために広島に参りました」と日本語を交えた。朝鮮戦争の劫火(ごうか)を逃れた少年時代の思い出も相まって、日本語に託した決意に深い共感を覚えた人は多かろう▲人の心を打つ体験は「その人の持つ言葉で表現されるとき、ほんとに相手に通ずる」と、方言の力を言い当てたのは民俗学者の宮本常一だ。それぞれのお国言葉で世界の政治家に誓ってもらいたい。ピカドンの悲劇は絶対忘れんけえ、と。
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