中国新聞社

99/11/17

ヒロシマの記録-遺影は語る  広島二中


死没者名簿 2年~5年 教職員


【2年】
石井 一郎 石井 一郎(14)
賀茂郡川上村(東広島市)川上小46年8月1日爆心1・8―2・8キロに当たる広島駅北側の東練兵場(東区)での芋畑の草取りに動員され被爆。歩いて逃げて海田市駅から列車に乗り、当日帰宅。3年生の夏に突然倒れて死去。妹弘子は「好物のモモを持って見舞ってくれた近所の人に『サンキュー、サンキュー』と言って、息を引き取ったそうです」。

石田 泰之 石田 泰之(13)
広島市三篠本町3丁目(西区)大芝小8月6日比治山小校長だった父正巳は、市が8日に同小に設けた迷児収容所(後の戦災児育成所)の受け入れに努めながら捜すが、遺骨は不明。


児玉 健次 児玉 健次(13)
安佐郡口田村(安佐北区)広島市・竹屋小8月6日呉海軍工廠に動員されていた兄昭三が15日、二中校舎跡にあった白骨化した数体から分骨を納める。兄は「6日は広島駅まで一緒に出て、目を患っていた弟は学校での自習に向かいました。遺骨を近くの交番で弟のものだと証明してもらい、50回忌を済ませました。生きていれば彼と話したいことがたくさんあります」。

砂田 幸男 砂田 幸男(14)
広島市舟入幸町(中区)舟入小8月7日遺骨は不明。母コユキらが約1カ月捜した後、7日死去と推定。安佐郡狩小川村(安佐北区)に学童疎開していた小学3年の弟義明は「父が病死していたので、長男だった兄は『早く卒業して家族を楽にしたい』とよく話していたそうです」(注・肖像画)佐伯郡大野村(大野町)の祖父宅に縁故疎開していた大野小5年の弟英雄(10)は6日、本川に泳ぎに出たまま遺骨は不明。

玉谷(たまや)明二 玉谷(たまや)明二(13)
安佐郡可部町(安佐北区)中原小8月6日復員した兄明が46年5月28日、広島駅の愛宕踏切(南区)付近の土蔵跡から見つかった遺骨を、着衣や二中のボタン、地下足袋などから確認。「東練兵場に向かう途中だったと思います」

平田 哲慈 平田 哲慈(17)
広島市西観音町2丁目(西区)の親類宅に下宿。実家は山県郡新 庄村(大朝町)新庄小48年6月10日東練兵場に向かうため、爆心1キロの天満町の電停にいて被爆。父賢雄ら14人が戸板に乗せて2日がかりで60キロ離れた実家に運ぶ。妹周那は「被爆後は復学もできないほど衰弱し、入退院を繰り返していました。直接の死因は腸結核でしたが、被爆が原因と国に認められたのは、父が死去した77年の数年前でした」。

和田 輝旭 和田 輝旭(てるあさ)(13)
西寮校長官舎に下宿。実家は安芸郡音戸町音戸小8月6日遺骨は不明。千田小教諭だった姉ツヤ子は「古田校長から、病み上がりのため、東練兵場ではなく1年生とともに中島新町での建物疎開作業に出たと聞きました。上級生のしごきや動員作業に疲れて4日まで音戸にいた弟に、私が戻るよう電話したばかりに…」と、今年の慰霊祭にも午前5時50分発のバスで高田郡吉田町から参った。

 
2年詳細不明

小林健次=慰霊碑に名前は刻まれていないが、広島市が公開している原爆供養塔の納骨名簿には「二中二年生」とある。

山崎 豊彦

【3年】
久保田 修吉 久保田 修吉(15)
広島市斜屋町(中区堀川町)幟町小8月6日遺骨は不明。学校の記録では、3年生は南観音町の三菱重工業広島機械製作所に動員されていた。一緒に暮らしていた義姉綾子は「旭兵器製作所(南観音町)へ出ていたと思います。『友達がおなかをすかせているから』と、残っていた大豆をいり、封筒に入れて作業に出ていました」しょうゆ・みそ製造業の父豊造(53)と母ミネノ(50)は、爆心1キロの自宅で爆死したとみられ、いずれも遺骨は不明。

河内廣 河内(かわち)廣(14)
広島市寺町(中区)不明8月6日岩国市の軍需工場へ戻る父安一を見送った自宅で爆死したとみられる。いとこが64年ごろ、原爆供養塔にあった遺骨を納骨袋町小教諭の姉登美子(24)は爆心460メートルの勤務先で被爆し、8日死去。

【4年】
岡澤 和己 岡澤 和己(16)
広島市広瀬元町(中区)広瀬小8月9日両親らと自宅で下敷きとなる姉の文江(21)と祖母トヨ(75)は高田郡市川村(安佐北区白木町)で9月2日死去。被爆場所は不明

岸 哲哉(15)
広島市西観音町(西区)不明11月16日動員された爆心3・7キロの三菱重工業広島機械製作所で被爆。妹瑞江は「爆風で割れたガラスが突き刺さって左目を失明した後に亡くなりました」自宅にいた弟俊孝(3つ)は7日死去。

佐々木 哲朗 佐々木 哲朗(16)
広島市翠町(南区)安芸郡・熊野第一小8月17日動員先の三菱重工業広島機械製作所に向かう途中、十日市町付近を通過していた電車内で被爆。避難した安芸郡熊野町の母の実家で死去。陸軍船舶特攻隊員として江田島にいた兄寛司は「『予科練に行きたい』という弟に、亡き父の分まで家族のために残ってくれと思いとどまらせた私が生き、弟が死んでしまいました」。

寺岡 良人 寺岡 良人(16)
広島市水主町(中区加古町)の県警察部練習所中島小8月6日双三郡三次町(三次市)に疎開していた母ミサトらが7日、爆心900メートルの練習所跡で遺体を確認。弟昭壮は「水主町の官舎が建物疎開となっため、父と練習所の一室に同居し、陸軍士官学校受験の準備をしていました」県警察部警防課長だった父盛人(44)も爆死。

名前 山野井 弘(16)
広島市内に下宿。佐伯郡中村(能美町)中小8月27日三菱重工業広島機械製作所に向かう途中に被爆し、母スミらが8日、船で連れ帰る。佐伯郡沖村(沖美町)の医院で死去。



死没者の氏名(満年齢)
1945年当時の住所出身小学校(当時は国民学校)死没日(実際の死没日が特定できない人もいるが、その場合は戸籍記載の死没日)被爆死状況45年末までに原爆で亡くなった家族=いずれも肉親遺族の証言と提供の記録、資料に基づく。年数は西暦。(敬称略)

山本 哲朗 山本 哲朗(16)
安佐郡祗園町南下安(安佐南区)祗園小8月6日父吉男が捜したが、遺骨は不明。動員先だった三菱重工業広島機械製作所へ向かう途中に爆死したとみられる。


 
4年詳細不明

  天野 忠信
  木村 悦男
  谷岡 正明

【5年】
出雲 照三 出雲 照三(16)
広島市比治山町(南区)段原小8月10日母ユキ子と広島工専3年だった兄祥二らが8日、宇品町の陸軍船舶練習部に収容されているのを見つけ、兄の友人が住む佐伯郡大柿町へ運ぶ。二中OBの兄祥二は「学校の命で三菱の工場から伝令に出たようです」広島市女1年の妹章代(12)は中島地区の建物疎開作業に出て、遺骨は不明。

《呉空襲戦災死》
檪本 酋(ひさし)(17)
呉市内に下宿。実家は安佐郡川内村(安佐南区)千田小6月22日通年動員されていた呉海軍工廠の第一製鋼工場内で死去。二中3年だった弟忠行は「昼夜交代で働き疲れていたせいか、山側の防空ごうに避難する同級生とは別に、工場内の防空ごうにとどまり爆弾に直撃されたそうです」

眞末 隆生(18)
広島市仁保町(南区)不明6月22日動員されていた呉海軍工廠で死去。

   ◇

『呉市史』(87年刊)によると、6月22日の呉空襲で海軍工廠南西の造兵器地区が集中攻撃を受け、動員学徒や女子てい身隊を含む325人が死亡した。

《教職員》
市川 邦彦 市川 邦彦(54)※注
広島市舟入川口町(中区)22年着任。担当は図画8月10日舟入連合町内会の義勇隊として爆心1キロ雑魚場町の建物疎開作業に動員され、妻子が疎開していた山県郡加計町で死去。普段は4年生を三菱重工業広島機械製作所(西区)に引率していた。

唐崎 忠夫 唐崎 忠夫(57)
広島市白島西中町(中区)29年着任。国語・漢文教諭8月6日当直明けの木造2階建て校舎で焼死。四女泰子は「遺骨の分からぬ生徒さんに比べ、見つかっただけでも幸せです。原爆の8年前に母が亡くなり、父は子どもたちの弁当づくりから買い出しまで自分を犠牲にして世話をしてくれました」。

仲山 岩夫 仲山 岩夫(41)
広島市白島中町(中区)30年着任。担当は英語8月9日5学級担任として作業現場に出る。遺骨は不明。学童疎開していた二女洋子は「父は広島赤十字病院で9日、出会った卒業生に名刺を手渡して『家族に生きていることを伝えてほしい』と言ったそうです。上級生の動員先だった呉から戻り、1年生を引率したと聞きます」二男誠(1つ)は自宅の下敷きになり、6日死去。

升田 龍一 升田 龍一(44)
広島市西白島町(中区)40年着任。担当は国文・漢文8月6日1学級担任。小学3年だった三女利根は「作業現場跡で生徒さんたちに覆いかぶさるようになっていたのを、先生たちが見つけてくださったと聞いています」二女の白島小6年菅根(12)は自宅で被爆し、6日死去。

松永 高三 松永 高三(たかぞう)(43)
二中東寮官舎37年着任。担当は数学8月6日二中校舎の下敷きとなり、午後8時ごろ死去。長女喜代子は「看護の生徒さんに『これを洋に渡してくれ』と腕時計をことづけましたが、洋は付けることはできませんでした」一人息子で1年2学級にいた洋は作業現場で被爆し、運ばれた佐伯郡平良村(廿日市市)で7日死去。

箕村 登 箕村 登(60)
広島市牛田町(東区)39年着任。担当は数学8月7日4学級担任として現場へ。生徒たちが言い残したところによると、被爆直後に「川に飛び込め」と避難を指示したという。長男正道は「引率責任者としての行動をとったのではないかと思われます。己斐の知人宅で亡くなり、二男が復員後に遺品の懐中時計を受け取りました」。

坪河シズノ(17)
広島市舟入幸町(中区)4月着任。教官室事務員8月11日町内から動員された雑魚場町の建物疎開作業中に被爆し、姉君子らが実家の佐伯郡三高村(沖美町)に運ぶ。姉は「『なんで神風は吹かんかったんかねぇ』と言ううちに、意識がなくなっていきました」。

 
教職員詳細不明

  山本 信雄

【お断り】市川邦彦さんの邦はです。 


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