中国新聞社

99/11/27

ヒロシマの記録-遺影は語る  広島二中


新たに確認できた死没者(遺影提供も含む)


 【1年1学級】
木田 俊吾 木田 俊吾(13)
広島市寺町(中区)鹿児島県立志布志中(現・志布志高)から 転校8月6日姉博子が48年ごろ、広島市内の寺で遺骨を納め る。「父が生前に墨で書いた服の名札が、お骨の入った布包みに縫い付けてありました。名札が真っ白で、汚れていなかったのが不思議でした」父申一(49)は爆心1キロの自宅近くの会社事務所で被 爆し、18日死去。母キミ子(33)は買い出しに行く途中に被爆し、15日死去。母と一緒にいた船越小3年の弟基良(8つ)は遺骨不明。

羽白 光(12)
広島市牛田町(東区)牛田小8月6日爆心2・5キロの自 宅で被爆した父幸雄と母信子が9日、動員作業現場下流の水主町(中区住吉町)で、白い布で包んであった遺骨を納める。小学5年だった弟清は「近所から救援に向かった医師が、胸の名札で兄の遺体を確認し、どなたかがだびに付してくれたようです」。

 【1年2学級】
山本 晋二 山本 晋二(12)
広島市矢賀町(東区)の祖父宅に下宿。実家は安芸郡中山村(東区)中山小8月6日遺骨は不明。県立第一高女(現・皆実 高)3年だった姉は「母チヨコが捜しに出た後、猿猴橋(南区)にいるとの知らせがあり、姉妹4人で迎えに行きましたが、見つけられませんでした」。

 【1年3学級】
坂本 恭治(13)
広島市宇品町(南区)宇品小8月7日母ヨシコらが7日昼 すぎ、本川に架かる新大橋(現・西平和大橋)のたもとで、ベルトのバックルにより遺体を確認。95歳になる母に代わり、妹喜美子は「母が見つけた時は、兄の体はまだ温かかったそうです」と言う。

島原 衛(まもる)(13)
広島市草津南町(西区)大阪府立今宮中(現・今宮高)か ら転校8月6日75年ごろ、平和記念公園の原爆供養塔に納骨さ れているのが分かる。応召していた兄喜市は「父は、『しんどいから作業に出たくない』と言った衛を無理に行かせたことを後悔していました」と言う。大阪空襲で自宅が焼失したため、父杢三ら3人で草津南町の伯父宅に移っていた。

 【1年4学級】
川崎 齊 川崎 齊(ひとし)(12)
佐伯郡地御前村(廿日市市)広島市・観音小8月7日陸軍兵器補給廠(しょう)に動員されていた実践高女(現・鈴峯女子高)専攻科1年の姉英子が7日午後3時ごろ、作業現場跡の西約300メートルで遺体を見つけて翌8日、母ハルと、だびに付す。姉は「革の編み上げ靴が頭の上に置いてありました。そばに倒れていた男性から7日朝までは息があったと聞きました」広島市女(現・舟入高)2年の姉智子(14)は、同じ中島での建物疎開作業に動員され、遺骨は不明。

堂免 政博 堂免 政博(12)
 【注】記録は4学級のページに掲載。

死没者の氏名(満年齢)
1945年当時の住所出身小学校(当時は国民学校)死没日(実際の死没日が特定できない人については、遺族が判断する死没日)被爆死状況45年末までに原爆で亡くなった家族=いずれも肉親遺族の証言と提供の記録、資料に基づく。年数は西暦。(敬称略)

望月 誠 望月 誠(12)
広島市西観音町2丁目(西区)の二中寮本川小8月8日爆 心1・3キロの横川橋北詰めで被爆した父徳義が、近くの市信用組合本部に設けられた救護所で見つけ、妻子が疎開していた賀茂郡竹原町(竹原市)へ運ぶ途中の8日午前11時ごろ死去。小学2年だった弟一徳は「兄は、父の会社までたどり着いたところ、『気を失って通り掛かりの人に収容先まで運ばれた』などと話したそうです」。

 【1年5学級】
瀬戸 賢祐 瀬戸 賢祐(12)
広島市段原大畑町(南区)段原小8月6日父佐之助が爆心 2キロの自宅で被爆した後に捜すが、遺骨は不明。山中高女(現・広島大付属福山高)に在学し、広島陸軍船舶司令部(南区)に出勤していた姉和子は「両親は、墓には弟の文房具を納めました」。

 【1年6学級】
伊豫 五三 伊豫 五三(いつみ)(13)
広島市江波町(中区)江波小8月7日いとこ浅人が6日、 舟入本町の江波線で、同じ江波町に住む1学級の野間正省と一緒にいるのを見つけ、広島第一陸軍病院江波分院(中区江波南1丁目)に運び、自宅に戻った翌7日午前10時、死去。義姉敏子は「幼ななじみの野間君と二人で、電柱の下で肩を寄せ合うように座っていたそうです」。

福本 関信 福本 関信(14)
佐伯郡玖波町(大竹市)玖波小8月6日同じ町内から一緒 に通学していた5学級の洲上義郎の父が6日夜、作業現場跡近くにいたのを見つけ、漁船で連れ帰る。小学3年だった妹祐子は「玖波の港に着くころ、最期に『母さん』と言って死んだそうです。手のひらとひざがひどく傷ついており、はって逃げようとしたのだと思いました」。

 【2年】
山崎 豊彦 山崎 豊彦(13)
安佐郡伴村(安佐南区)伴小8月6日体調を崩し、2年生 の動員先だった東練兵場には行かず、西観音町2丁目の二中校舎で焼死。母マツ子が9日、焼け残っていた地下足袋と一緒に遺骨を納める。小学3年だった妹修子は「庭の桜を見ては、軍人になり、お国のために役立ちたいと語っていたそうです。母の願いでもありま した」。

 【教職員】
山本 信雄 山本 信雄(39)
広島市観音町(西区)27年着任。担当は英語8月6日2学級担任として作業現場に出て、遺骨は不明。妻信子が8日、現場跡にあったという万年筆や自転車のかぎなどの遺品を学校から受け取る。母とともに自宅で被爆した二女英子は「川に飛び込んだ生徒さんたちと『海行かば』を歌った教師は、音楽も教えていた父だと思います」長女の観音小3年洋子(8つ)は8日、草津小で亡くなっているのを母が確認。


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