ルーレットは回り続けている
テーブルに積まれた切り札の陰で
誰も皆 勝つことだけを信じて賭けを続ける
憎しみは憎しみで
怒りは怒りで
裁かれることに何故気づかないのか
愛の世代の前の一瞬の閃光に
すりかえられた脆い希望など崩れ落ちていく
(タイトル:「愛の世代の前に」 アルバム:「愛の世代の前に」より 1981年)
人類が誕生し数百万年、欧米の暦では「B.C.」という記し方がある。キリスト登場前(Before Christ)と、それ以降という考え方だ。
ということであるならば、今年は「A.C.」(After Christ)つまりキリスト登場後2004年となる。しかし、「暦」と言うものは民族や宗教によって異なるものだ。
ところで私には「人類には共通の暦がある」という私見がある。それは、After Atomic Bomb(A.A.B.)だ。核兵器誕生以前の人類と、1945年8月以降の人類は全く違う時代を生きているのだ。A.A.B.60年になる。
地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It's A NEW STYLE WAR
飽食の北を支えている
飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつかA NEW STYLE WAR
貧困は差別へと
怒りは暴力へと
受けいれるか
立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所は無い
It's A NEW STYLE WAR
愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It's A NEW STYLE WAR
(タイトル:「A NEW STYLE WAR」 アルバム:「J-BOY」より 1986年)
1945年8月6日、父は広島県豊田郡の木江署に勤務していた。
「広島の弾薬貯蔵庫が爆発したらしい。」
「アメリカの新型爆弾らしい。」
情報が錯綜していた。
ある者はピンク色した大きな雲を西の空に見たと言う。
父に下された命令は、地元青年団員、医者、看護師を組織し、
広島市に救助に赴け、というものだった。
救助隊と共に広島に向かった。
猛火のため市内に入れず、広島市周辺部で待機した。
熱にアスファルトが溶けた道。
市内から逃れてくる被災者達の容態。
火が衰え、市内に入って経験した状況。
「生き地獄としか表現しようがない。」と父は言った。
その日、江田島から学習旅行で「原爆資料館」へ行った小学生の私に、父は1945年の夏の体験を話してくれた。
苦しそうだった、話したくなさそうだった。
思い出したくなかったに違いない。
しかし、息子に話す義務を感じていたのであろう。
戦後、私が生まれる前、父は内臓を悪くした。
髪が全て抜け落ち、顔が茶黒く2倍位に腫れ上がったという。
当時出回っていた粗末な酒のせいか、と思ったらしい。
「原爆資料館」を訪れた日から2週間後、朝刊の一面に「第三次世界大戦」という活字があった。
「キューバ危機」だった。悪夢にうなされる浅い眠りの日々が続いた。
1987年4月、父は膵臓癌(すいぞうがん)のため69才で逝った。
貧困の中で生まれ育ち、戦中戦後を生き抜き、子供達を育て、
やっとゆとりが出来た頃、亡くなってしまった。
父を誇りに思っている。
深く感謝している、
私に人生を与えてくれたことを。
子供達の世代により良き人生を受け渡したい、と思う。
おろかな男達 権力にむらがり閉ざしていく 未来への最後のドア
混乱と憎悪と暴力に満ちているこの世界
祈りを銃弾に変え
壁は崩れ 溝は深まり 人を愛すにも命がけ
…罪人を誰が裁ける
今夜 お前はガソリンを燃やして 家族の待つ家へ帰る
「幸福」という名の車の「エゴ」という名の車輪を廻して
(タイトル:「裸の王達」 アルバム:「その永遠の一秒に」より 1993年)
【写真説明】浜田省吾さん 歌手(51)
   
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