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名前入り遺品、遺族どこに 似島で発掘 '04/7/27


 名札「内谷」 印鑑「大盛」

 広島市が南区の似島で進めている原爆死没者の遺骨発掘現場で二十六日、「内谷」と彫り込まれたプレートと、「大盛」と刻まれた印鑑が一点ずつ出土した。市はいずれも「姓」とみて、原爆死没者名簿などを手掛かりに遺族捜しに着手した。

 プレートはこげ茶色。縦四・五センチ、横三センチのだ円形で、一〜二ミリの穴が上部に三カ所、下部に二カ所ある。リュックなどに取り付けていた名札の可能性がある。

 印鑑は全体に茶色。長さ二・六センチで、上部に直径六ミリのリングが付いている。印影部分は縦一センチ、横八ミリのだ円形。印鑑を覆う包み(縦八センチ、横三・五センチ)や朱肉(直径一・六センチ)も同じ場所で出た。

 プレートと印鑑の材質は分かっていない。

 市によると、原爆死没者名簿には「内谷」「大盛」の姓で複数の登録がある。市は名簿にある死亡日や場所などを手掛かりに、遺族を捜す。

 このほか、ハート形の飾りが付いた銀色の指輪(直径一・八センチ)、緑色にさびた指輪(直径二センチ)も、指とみられる骨片に通った状態で見つかった。バックル付きのベルト(長さ約七十センチ)▽バックル二点▽ボタン二点▽スナップ一点▽金具一点―もあった。

 市は二十九日から八月十一日まで、出土した遺品六十五点を中区の原爆資料館東館一階ロビーで公開する。

 この日はまた、九体分の頭蓋(ずがい)骨を含む骨片約四百五十点が見つかり、これで遺骨は推定八十五体となった。発掘は二十七日で終わる見込みだ。

 市は遺品に関する情報提供を呼び掛けている。保険年金課TEL082(504)2159。


●クリック 似島での遺骨発掘調査

 原爆投下直後から、似島には約1万人の負傷者が運ばれたとされる。広島市は5月27日、島の南東にある旧日本陸軍馬匹検疫所跡地を試掘し遺骨1体分を発見。6月14日から本格調査に着手した。これまでに旧制山陽中・工業学校(現山陽高)の陶器製ボタンも出土している。市の調査は3回目。1971年には今回の隣接地で推定617体の遺骨が見つかった。


【写真説明】左=「内谷」と彫り込まれたプレート。上と下に、ひも通しらしい穴がある 右=「大盛」の印影が見える印鑑


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