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「内谷」の名札、妹では 広島の男性名乗り '04/7/28

 似島発掘の被爆遺品

 広島市南区の似島で見つかった原爆死没者の遺品らしい「内谷」と刻まれたプレート(縦四・五センチ、横三センチ)について、安芸区の農業、内谷司さん(77)が二十七日、広島女子商業学校(現広島女子商学園高)二年生だった妹の節子さん=当時(15)=のものではないかと市に名乗り出た。

 女子商在校時 遺影の右胸に写る

 内谷さんは、プレート発見を伝える中国新聞朝刊を見て、節子さんの名札を思い出した。アルバムに女子商一〜二年生のころに撮影されたとみられる節子さんの写真があり、制服の右胸に楕円(だえん)形の名札が写っていた。

 内谷さんによると、見つかったプレートと記憶にある名札とは、「内」の字の中央の左はらいが太く彫られているのが共通している。「太いはらいを好きじゃなかったのでよく覚えている」と言い、大きさや色は覚えていないという。

 節子さんは、鶴見町(現中区)での建物疎開作業中に被爆し、行方不明になった。内谷さんによると、母親が一九四五年十月ごろ近所に住む兵士から、「内谷」の名札が付いた死没者を似島に運んで埋葬したと聞かされたという。

 内谷さんは「快活な妹だった。妹の名札と分かれば、両親の墓に報告したい」とプレートに手を合わせて涙ぐんだ。

 出土したこげ茶色のプレートに比べ写真の名札は白っぽいが、変色したことも考えられる。しかも、下部のひも通しの穴が右上がりになっているのも共通しており、市は「同一の可能性が高い」とみている。今後、女子商の同窓会などに照会し、節子さんが通学していたころの名札について調べる。

 遺骨85体 遺品65点 発掘終了

 広島市南区の似島で市が進めてきた原爆死没者の遺骨発掘調査は二十七日、終わった。この日は遺骨は出ず、五月二十七日の試掘以来、推定八十五体の遺骨と、六十五点の遺品が見つかった。

 遺骨は現在、発掘現場で仮安置されている。広島戦災供養会(中谷ミサ子会長)が八月二日午後二時四十五分から、現場で慰霊式を営む。続いて市が三日、市永安館(東区)で火葬。その後、同供養会が中区の平和記念公園内にある原爆供養塔に納める。

 遺品は市役所で保管しており、二十九日から八月十一日まで、中区の原爆資料館東館一階ロビーで公開する。

【写真説明】上=内谷節子さんの遺影。右胸に名札が見える 下=似島で26日見つかった「内谷」と刻まれたプレート


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