被爆死直前、人に託した定期入れ
旧制崇徳中生だった木島和雄さん=当時(15)=が、原爆で倒壊した横川駅(広島市西区)の下敷きになって焼死する寸前、居合わせた人に託した定期入れを、姉である広島県宮島町の主婦舩附小子(ふなつき・さよこ)さん(81)が八月六日の命日までに原爆資料館(中区)に寄贈する。大切な形見を公開し、家族で語り継いできた悲劇を多くの人と共有することが、弟の供養になると考え始めたからだ。
弟の悲劇 伝えたい
定期入れには学校の身分証明書や宮島―横川の定期券が入っている。宮島で物産店を営んでいた自宅から通い、被爆当日は横川駅近くにあった動員先の工場に向かう途中だったとみられる。
宮島にいた舩附さんはごう音を聞き、きのこ雲を見た。弟は帰らず、父が毎日のように捜しにいったが、手掛かりはないまま。しばらくして最期を知る男性が、遺品を届けてきたという。
男性の話によると和雄さんは爆心から一・八キロの横川駅で、落下した天井のはりに片足がはさまれ、動けなくなった。男性が引っ張り出そうとしたが果たせず、「宮島の家族に渡して」と定期入れを渡した後、駅は炎に包まれたという。
「渡す時、どんな気持ちだったか…」。舩附さんはその心情を思いやる。戦後、仏壇の中にしまってきた遺品。「次の代には弟の物語が分からなくなる」と、資料館への寄贈を決意した。
舩附さんの長女、洋子さん(52)は宮島を詠み続ける詩人だ。十五年前、母の記憶を基に叔父にささげる詩を書いた。「あの日から、ずっと横川駅にいるのですか/もう、そろそろ宮島へ還っておいでよ/今のうちなら母さんもいるのだから」
舩附さん母子は原爆の日に元安川に流す灯籠(とうろう)にメッセージを書き込み、寄贈を報告するつもりだ。
【写真説明】左=自宅で弟が残した身分証明書や定期入れを前に「弟の悲劇を次の世代に伝えてほしい」と願う舩附さん 右=横川駅で被爆死した木島和雄さんが、死の直前に通りがかりの人に託した定期入れ
    
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