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59年目に初の慰霊碑 5000人被爆死の広島・広瀬地区 '04/8/1

 ■「風化させまい」地元が建立 3日に除幕・慰霊式

 原爆で五千人以上の犠牲者が出たとされる広島市中区の広瀬地区に、原爆慰霊碑が建立された。これまで地区の碑はなく、「犠牲者にすまない」と地元住民たちが費用を出し合った。被爆から五十九年を前に、三日、碑の除幕式と初の慰霊式がある。

 碑は広瀬小の校舎南側の校庭に設けた。高さ一・一メートル、幅一・二メートルの御影石製で、正面に「原爆死没者 慰霊」と彫ってある。裏には「学区内は地獄と化し推定死亡者は五千人を超えた」「当日登校していた教師七人児童三十七人行方不明児童百人の尊い命が失われた」と記している。

 地区にはこれまで、当時の広瀬国民学校に駐屯していた陸軍第二特設警備隊の碑があっただけ。住民から昨年夏、「悲劇を風化させまい」と声が出たのを受け、国民学校の学区に相当する十五の町内会が建立委を設立。地元で広く寄付を募り、国からの助成金を含めて百八十万円の事業費を工面した。

 広瀬国民学校に通い、原爆で母を亡くした主婦寺田頼江さん(70)=中区寺町=は「家も失い、転々とする暮らしが続いた。広瀬の子どもたちがこの碑から、戦争の愚かさを学んでほしい」と願う。

 建立委員長で広瀬北町一区町内会長の吉森巌さん(72)は「周囲の小学校には慰霊碑があり、地元の犠牲者に申し訳ない気持ちでいた。後輩の子どもたちに見守られ、これでやっと喜んでもらえると思う」と話している。

 除幕式と慰霊式は三日午前十時から。広瀬小の児童や地元住民のほか、被爆後に散り散りになった元住民たち十数人も久しぶりに顔を合わせることにしている。

【写真説明】完成したばかりの慰霊碑を見つめる吉森さん(右)たち


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