「記憶と行動の1年に」 秋葉広島市長が平和宣言
米国による原爆投下から五十九年たった六日、広島市は中区の平和記念公園で、原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)を営んだ。昨年より五千人多い四万五千人(市発表)の参列者が午前八時十五分、犠牲者を悼んで黙とう。秋葉忠利市長は平和宣言で、新たな核兵器開発に走る米国を「自己中心主義」と批判し、被爆六十周年の来年に向け、被爆の記憶を呼び覚ましながら核兵器廃絶への行動を尽くすと誓った。
午前八時に始まった式典で、秋葉市長と遺族代表二人は、この一年間に新たに亡くなったり、死亡が判別したりした五千百四十二人の原爆死没者名簿を原爆慰霊碑に納めた。名簿はこれで八十三冊となり、二十三万七千六十二人の犠牲を刻む。
原爆投下時刻の八時十五分。気温二八・七度。日差しは時折、肌を刺すほどに強まる。遺族代表の保育園園長坂川豊和さん(38)=安佐北区=とこども代表の幟町小六年平尾緒美さん(12)=東区=がつく「平和の鐘」の響きに合わせ、参列者は起立して一分間の黙とうをささげた。
秋葉市長は平和宣言で、イラク戦争などを仕掛けた米国の姿勢を批判したうえで、テロがやまぬ世界情勢を「暴力と報復の連鎖」と憂慮。被爆六十周年の来年に向けた一年間を「核兵器のない世界を創(つく)るための記憶と行動の一年」と位置付け、被爆の原点に戻り、核兵器廃絶への「希望の種」をまくことを誓った。日本政府には、被爆者援護の充実とともに、「平和憲法の擁護」を求めた。
続いて、亀山南小六年百合野光哉君(11)=安佐北区=と段原小六年河田早紀さん(11)=南区=が被爆地のこども代表として「平和への誓い」を、力を込めて読み上げた。
四年連続で参列した小泉純一郎首相は「平和憲法を順守し、非核三原則を堅持する。核兵器の廃絶に全力で取り組む」とあいさつ。式典終了後、東京に戻った。
【写真説明】原爆ドーム越しに見える原爆慰霊碑には、式典開始前、献花する遺族や市民たちの列が続いた=6日午前7時25分(撮影・浜村和義)
    
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